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『知の編集工学』(松岡正剛)

編集者・松岡正剛さんの編集哲学が語られた一冊。

本書が指し示す「編集」は、恐ろしく広い意味を有しています。本作りにおける役割の一つに限定されるものではなく、広く「情報を○○する」行為全般を含んでいるのです。

今「○○する」と伏せ字にしましたが、別に「正解を知りたかったら、この本を読みなさいな」と知的好奇心を煽るためではありません。本書を読む限りにおいて、編集という行為を一言で表すのは不可能である、と感じたのです。

勢いにまかせて言えば、編集は「情報をまとめること」と表現できるかもしれません。これは部分的には間違っていませんが、編集という行為をピタリと表しているものではありません。違った表現を使っても似たような結果が起こるでしょう。どうしても過不足が出てきてしまいます。

完全な言葉を求めようとすれば「○○する」と表現するしかない。だからこそ「編集」が必要なのです。テレビや新聞のニュースは事件を切り取り、概要を短い文章にまとめます。それは不完全であり、またそれぞれのメディア固有の視座を持っています。100%客観かつ、完全な情報ではありません。しかし、そうして情報を切り取るからこそ、その話題がメディアにのるわけです。

100%の完全性を求めてしまえば、速報性は著しく失われるでしょう。事実を豊富に盛り込めば、新聞は256ページほどの厚さになるかもしれません。そんな新聞を誰が読むでしょうか。

メディアにのせるためには、ある種の割り切りが必要で、ある種の方向性が必要で、ある種の視座が必要です。そして、それが「編集」という行為が必要であることの理由でもあります。


松岡正剛さんは「編集者」ではありますが、ごく普通に使う「編集者」とは少しだけ違ったニュアンスがそこにはあります。英語になおせば、Editorと言うよりは、Infomation Directorの方がぴったりくるかもしれません。あるいは、Intellectual Director。はたまた、Intelligence Director 。松岡さんの仕事を見ていると、そんな印象を受けます。

たとえば、『情報の歴史』という本では、タイトル通り情報の歴史が年表形式でまとめられているのですが、その軸の切り方非常に独特です。以下のサイトから、『情報の歴史』の1ページが確認できるので、お暇があればどうぞ。

1456夜『地球の論点』スチュアート・ブランド|松岡正剛の千夜千冊

1968年の年表で、大項目は「対立と制御」となっています。中項目は5つあり、「ターニング・ポイント」「月とコンピュータ」「知の考古学」「肉体の復活」「ロック・メディア」が横に並んでいます。

この年表をみていると、たとえばアラン・ケイのパーソナルコンピュータと吉本隆明の共同幻想論が近い場所にあって、それをみると「ふむ」と唸らざるをえなくなってきます。もちろん、その「ふむ」の奥で何を考えるのかは人によって違うでしょうし、全然別のところに「ふむ」と唸る人もいるでしょう。

ともかくこの年表には何かがあります。そして、それは「編集」によってもたらされています。

この年表作りを、「情報をまとめる」と表現してしまえば物足りないことになってしまうでしょう。ここには選別があり、強調があり、ネーミングがあります。単に「同じ場所に持ってきた」だけではありません。そして、その総合を「編集」と松岡さんは呼んでおられます。

本書タイトルには、「編集工学」とありますが、実際のところは「編集」の解説に重きがおかれ、「編集工学」自体への言及は限定的です。しかし、ちらっと垣間見える「編集工学」はとても魅力的です。情報をいかに「○○するか」という技法が、まるでパタン・ランゲージ的にまとめてあります。

こういう仕事のやり方は、個人的に興味があるところです。


「編集」を一言でまとめるのが難しいので、本書の内容も一言でまとめるのは簡単ではありません。

「わかりやすい説明」というよりは「読み解くべきもの」がたっぷり詰め込まれています。ややこしくこんがらがった知恵の輪を手渡されたような感覚かもしれません。

そうしたものが好きな人は、高い確率で楽しめる本でしょう。

知の編集工学 (朝日文庫)
松岡正剛[朝日新聞社 2001]

▼目次情報

 Ⅰ 編集の入り口
  第一章 ゲームの愉しみ
  第二章 脳という編集装置
  第三章 情報社会と編集技術
 Ⅱ 編集の出口
  第四章 編集の冒険
  第五章 複雑な時代を編集する
  第六章 方法の将来

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