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アニメ『ひそねとまそたん』

最初は、自衛隊の航空機の中身が実はドラゴンだった、という奇抜な設定に興味を持っていたのだが、徐々に別のところに惹きつけられていった。いかにも怪しげな官僚が、含みのあるセリフを言い出した始めたところからだ。

まつりごと。おおむね予想はできたし、その予想は当たっていた。問題は、その展開だ。

ここからは少しネタバレになるので、知りたくない方はそっと閉じていただくとして、犠牲がどのように着地するのか、という点が気になっていた。

何かしらの犠牲が必要になることは、かなりの含みがあったので予想されていた。誰がどのような形でなのかは自明ではなかったが、Dパイの肩に何かしらがのっかることだけは確定だった。そして、それが明かされた。あとは、それがどう決着するのかだ。

よくあるストーリーのようにならなければいいのになと、願った。大いなる達成のために、個人が犠牲になる。そういう話はさんざん見てきた。ここまでの舞台装置を作り上げながら、その結末に至ったら、実に残念だ。たとえそれが視聴者受けする結末であろうとも、ここまで来たのだから、別の道筋を示して欲しい。

結果的には、そうなった。主人公であるひそねは、叛逆した。謀反した。彼女は強い問いを投げかけた。「その当たり前って、本当に当たり前なんですか」と。

おそらく、システムを守るために、個人が犠牲になることは避けられないのだろう。人の命は尊いものだが、かといって日本国民全員と天秤に掛ければ、傾く方は決まっている。だから、それは仕方がないのだ、と受け入れる。はたして、それが正しいと言えるのだろうか。

焦点となるのは、システムの維持のために個人が犠牲になるかどうかではない。個人が犠牲になることが当然のこととして織り込まれているかどうかなのだ。どちらにせよ避けられないにしても、最後の最後まであがこうとすることと、そういうものだと受け入れることは同じではない。そこにはたしかな違いがある。

本作でひそねはそれを示したように思う。結果的に、彼女もまた自己犠牲を選択するのだが、それはシステムに定められたものではなく、まったくもって個人の選択だった。そのことが大切だった。

一応、映像的にはハッピーエンド的な結末を見せたが、だとすればなぜひそねは長らく帰ってこなかったのか、という謎は残されたままである。その辺で、解釈の幅のあるエンディングだったように思う。

人の命は尊いものだ。しかし、その価値の大きさを何かで測り始めれば、個人は常にシステムの犠牲になってしまう。そこには選択出来るような選択肢はどこにもない。

思ったことは何でも言ってしまう彼女だったからこそ、そこにNoを突きつけることができた。その意味は、決して小さくないように思う。

ひそねとまそたん DVD BOX 接触篇 (特装版)
監督:小林寛 [ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント 2018]

ひそねとまそたん DVD BOX 発動篇 (特装版)
監督:小林寛 [ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント 2018]

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