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『今日の自分を肯定する箇条書き手帳術』(Marie)

出版社より献本頂いた。多謝。


さて、本書を読んで思ったことが二つある。一つが「超人よさらば」であり、もう一つが「主体性を発揮する重要性」だ。

本書は、年収を二倍にするための本ではないし、キャリアの階段を駆け上がる本でもない。もちろん、生産性を最大限に発揮する、という本でもない。一昔前は、そういう目標がよく信奉されていたが、昨今では、そこに潜む「無理さ加減」が徐々に自覚されつつある。

かといって。

そう、かといって「ありのまま」で生きればそれで人生ハッピー、という風にはいかない。自分という存在には、至らないところがたくさんあるし、それをいくらかは乗り越えたいという前向きな気持ちもある。

自分たちの心を見つめれば、そうした「中途半端な」(あるいは繊細な)状態があることに気がつく。神経症的に徹底するのでもなく、投げやりに「ありのまま」に逃げるのでもない、その間の在り方が。

以前、『ぶたやまかあさんのやり過ごしごはん』を紹介したときに、以下のように書いた。

だからといって。そう、だからといって本書はあらゆる手抜きを肯定していたりはしない。別の言い方をすれば、「料理をする楽しさ」を拒否していたりはしない。あたかもそれをこなさなければならない作業であるかのように徹底的な時短と効率化を目指したりはしない。だって、ご飯を作ることには、間違いなく楽しさもあるのだから。

これは、本書が示す「手帳術」の話と通じている。

私たちは自分なりに取り組んで、「うまくやれるようにする」ことを好ましく感じる。充実感も得られる。全体的に見てそう悪いことではないのだ。

だからといって、それをファーストプライオリティーにし、その他すべての要素を犠牲にしたら、自分という一つの「系」はずたずたに壊れてしまうだろう。やり過ぎは禁物なわけだ。

しかし、やり過ぎが禁物だからといってそうした類いの行為すべてが禁止されるのも行き過ぎている。ちょっとしたお酒が潤滑油になるように、ちょっとしたストレスがエネルギーを湧かせるように、ちょっとした後悔が自分の気持ちを改めるように、少しだけなら良い効果をもたらすものは多い。「自己管理」についても同じなのだ。

私たちはそろそろ「超人指向」を捨て去るべきだろう。しかし、それと同時に「うまくやれるようにすること」まで捨て去る必要はない。むしろ、そうした営みを自分の人生に抱えておくことは、自分の人生に良い変化をもたらしてくれるはずである。

2020年以降の個人向けノウハウは、そうした視点、つまり地に足がつき、日常に寄り添い、自分の人生を投げ捨てない価値観を元に探求されるべきではないだろうか。少なくとも、本書が提示するノウハウは、そのような価値観をベースに持つように感じられる。

だからといって、本書のノウハウをそのまま真似しましょう、という教条主義じみた話にはならない。そこではやはり「主体性」の発揮が重要となる。

考えてもみて欲しい。「主体性を発揮するために、私が言う方法を一から十までその通りにやりましょう」というアドバイスのどこに、受け手の主体性を受容する余白があるだろうか。そこでの主体性は、置換された強要なのである。

拙著『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』で、ノートを不真面目に使うことを私は提言した。本書も、バレットジャーナルという(他人の)メソッドをベースにしながらも、実際の運用については著者なりのアレンジが施されている。ポイントは、そこにあるだろう。

ようは本書からは二重の学びがある。一つは、著書が実践しているノウハウを知識として学ぶこと。もう一つは、提示されたノウハウはアレンジして使ってもいいんだよ、という姿勢を考えたかとして学ぶこと。

そのような考え方は、いわゆる「マナー講師」にとっては天敵とも言えるものだが、まさしく現代を生きる私たちにとって、切実な考え方になっていくのではないだろうか。

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