本書は、「こころのケアってそもそも何だっけ?」とラディカルな地点から問い返す本である。専門家に向けてやや硬い文章で構成されているが、それだけではないのは読めばすぐにわかるだろう。
さて、こころのケアというと「精神分析」のような専門的で職業的な臨床心理学が思い浮かぶ。たしかにそうした分野が解決する問題はあるだろう。しかし、それだけがケアなのだろうか。言い換えれば、心の問題に対処するための方法とはそうした専門的なものだけを指すのだろうか。
著者はノーと言う。専門的な視点では過小評価されがちな(あるいは無視されがちな)、「ふつうの相談」というものが担う役割は大きいのではないか。というよりも、さまざまな学派的理論や体系は、そうした「ふつうの相談」を発端とし、より純化(あるいは特殊化)させていったものとして位置づけられるのだとしたら、それまでの知の力学が大きく動くのではないか。そんな風に著者は地図を広げていく。
ここでは二つのことが行われている。一つは、学派的なものが見逃してきた「ふつうの相談」(専門的でない知の振るまい)が担っている役割を再評価すること。ほとんどの問題はそうした日常的な相談でクリアされているのだし、専門的な相談ですら日常的な相談が機能するための補佐という側面は大きい。むしろ、多様な問題をすべて「専門的な問題」としてひと括りにしてしまうことには実際的な不具合を生じさせる可能性がある。「ふつうの相談」の価値を見直すことで、問題解決のバランスが是正されうるわけだ。
もう一つ、「ふつうの相談」をすべての相談の根源におくことで、多様に散らばるさまざまな知の在り方を、一つの包括的な視点でまとめている点もある。簡単に言えば「根っこは同じ」だ。地表に顔を出す幹は違っていても、地面に潜れば共通的なものがある、というような視点に立つことで、「何が一番偉いのか?」のような不毛な争いからの脱却が期待できる。そうした脱却ができれば、「目の前の人に必要なことは何だろうか?」という現実的な問題解決へと向かっていきやすくなるだろう。
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全体を通して感じるのは、何か突出したものがありそれを信じ切っておけば安寧であるという考え方の拒否である。本書では三つの知の在りようが提示されるが、どれをとっても単独で完全なものはない。それぞれに問題を抱えている。だからこそ、それらの知のやりとりが必要となってくる。その風通しが悪くなってしまえば、ややこしい不具合が生じてしまうだろう。動的さが必要なのだ。
逆に、知のやりとりが動いているならば、そこには常に新しいものが生まれてくる可能性がある。学派はアップデートされ、現場知はリニューアルされ、世間知は更新される。交わされる「やりとり」によって、そのときそのときに最適な判断が下されるだけでなく、そうした「やりとり」を通して知が更新されていくのだ。
本書で行われる知の地図の整理は、そうした「やりとり」ができるだけ活発に行われるようにという祈りが込められているのだろう。