哲学Youtuberでもある著者の初の書き下ろしは、まっすぐな哲学史の入門書である。
正直に告白しよう。実際に本書を読むまでは、ぱらぱらと二時間くらいで読めてちょっとわかった気になれる系書籍(私はそういう本を「なろう系」になぞらえて「なれる系」と呼んでいる)に属するのだと思っていた。ぜんぜん違う。言葉遣いは易しいものの、骨太な文章が展開されていく。そういう本であった。
構成はシンプルながらも異色だ。西洋の「哲学」の流れが扱われていて、第1章では古代が、第2章では中世が、第3章では近代が、第4章では現代が解説される。者自身もアピールしているが、中世に一つの章が当てられているのが異色ポイントの一つだ。
私も哲学を学びはじめた頃、名前が挙がった人物を年表に並べてみたときに途中の空白に驚いたことがある。極端なことを言えば、アリストテレス以降、急にデカルトとかベーコンにジャンプするのだ。この空白期間は哲学の「暗黒時代」だったのかとも考えていたがそういうわけでもなかった。哲学の営みは、きちんと続けられていたのである。そうした「流れ」を体感できるのが本書の魅力の一つでもあろう。
もう一点、それぞれの章が二項対立で説明されているのも面白い。古代は自然哲学と形而上学が、中世はキリスト教とギリシャ哲学が、近代では自然世界と人間理性が、現代では旧哲学と新哲学が対立軸として見立てられている。このように論争の形で捉えると、理解がなめらかになる。単に誰かが何かを言っているというだけならば単独の事実でしかないが、誰か(あるいは何か)に対して言っているという形ならば、議論という文脈が生まれるからだ。言い換えれば、情報が関係性の中で整理される。これは理解を助ける上で非常に強力なやり方である。
もちろん、そのように二項対立で捉えることが西洋哲学そのものの歩みだったということも言えるだろうし、デリダが為そうとしたことも、そうした構図を突き崩すだったことに違いない。このことを逆に見れば、情報を「整理」する上で、二項対立の構図がいかに強力なのかがわかる。本書を読むと、そのことが実感されるだろう。