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『三体』(劉慈欣)

すさまじい。圧倒的な作品だ。

とは言え、グレッグ・イーガン星新一のようにある特徴に突き抜けているというよりは、非常に多面的・多層的な面白さを強く感じる。こればかりは読んでいただくしかないだろう。

大きなテーマは、異星人とのファーストコンタクトである。しかし、これも単純ではない。そのテーマの裏側に、地球文明が持つ限界への自覚が描かれている。この点で、『ニック・ランドと新反動主義』を彷彿とさせる。しかし、本作品はそうした自覚を描きながらも、そこにある問題点もあぶり出している。本作を読めば、そうか加速器って大切なんだな、ということをありありと考えるようになるだろう。非常に(科学)啓蒙的である。

作品としては、ある部分でハードなSF要素を持つのだが、しかし、グレッグ・イーガンのような美麗で精緻な世界を目標とはしていない。SF作品に用いるのはいささか奇妙ではあるが、そこにはほとんどコミカルとも言える「非現実的」な描写がある。そうした部分に関しては、星新一が描く世界のようにシニカルかつユーモアが満ち溢れている。不思議なバランスだ。

モチーフも多様である。最新のVRの話が出てくると思えば、そこに出てくるキャラクターたちは地球文明を形作ってきた思想家や科学者である。ここにも、啓蒙的な要素が感じられる。さらに、作品を序盤を飾るのは、中国の思想的な(ときに暴力を多分に含む)歩みである。そこに背を向けることを著者はしていない。

そして、これらの要素が、巧妙なストーリーテリングとテンポの良い文体で語られていく。時間が移り、世界が動き、表現が変転する。使えるものは何だって使う。そんな気概すら感じられる。巧妙なブリコラージュ。あるいは一周回って天衣無縫な感触すら受ける。この作品は、こう描かれるしかなかったのだ、という意味において。

その上で、一番重要なのは、そうした多様な要素を持つ作品が、きちんとエンターテイメントとして成立している点である。カメラに奇妙なカウントダウンが映り込んできた段階から、私はページを繰る手が止まらなかった。ひさびさに、空き時間があれば続きを読みたくなる作品であった。

三部作の第一部なので、本作でストーリーは完結していない。というよりも、「いよいよ盛り上がってまいりました」というところで終わってしまう。はやく次の巻が読みたくて仕方がない。

三体
劉慈欣 翻訳:大森望,光吉さくら,ワンチャイ, 監修:立原透耶 [早川書房 2019]

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