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『ハロー・ワールド』(藤井太洋)

本書のタイトルは「ハロー・ワールド」以外にはありえないだろう。どれだけググラビリティ(ググッたときに見つけやすい度合い)が低かろうが、本作は「ハロー・ワールド」だろうし、「ハロー・ワールド」であって欲しい。

そう思えるくらいに、新しい世界とその可能性を祝福する作品である。

三つの新しい世界

「Hello World」は、プログラミングの入門者が最初に表示させるテキストとしてそのミームを確立させている。その言葉は、繰り返されるある種の「おまじない」であり、自身に強い意味があるわけではい。だからこそ、象徴的な言葉になりうる力を持っているとは言えるだろう。

いくつかのコマンドを打ち込んだ後で、プログラムを実行する。そして表示される「Hello World」の文字。そのとき彼/彼女は、新しい扉を開く。とてつもないワクワク感を持って。

つまり、このおまじないは、未知の世界を歓迎する言葉なのである。

一つめの象徴はまさにそれだ。プログラミングを覚えることは、新しい世界への扉を開くに等しい。それは、何かを作ることが新しい世界の創造と等価であることも意味するし、また、何かを作れる能力が自分を新しい世界へと連れて行ってくれていることも同時に意味する。

それだけではない。本書が描くもう一つの「新しい世界」は、現在「シンギュラリティ」などと呼ばれている特異点後の世界である。技術が──もう少し言えば、さまざまな技術の創発が──、人間ならざる知性を切り開く。私たちはその世界を、戸惑いながらも、きっと歓待するだろう。ようこそ、新しい世界。

もう一つ、ぜひとも書き残しておきたいのが、本書が提示する新しいヒーロー像、というかアンチ・ヒーロー像である。しぶとく、かつしたたかに生き延びること。ビジョンを持ちながらも、そこにたやすく命をベットしないこと。共同体という大きな物語に飲み込まれることなく、しかし、リトル・ピープルの躍進を是としないこと。

このような生き方──というよりもいっそ在り方と表現すべきだろう──は、間違いなく、これまでの日本人が抱く価値観からすれば異質であろう。「命がけ」という自己犠牲は、あまりにも甘美であり、人の心を打つ。それは私たちが社会的動物だからだろうが、問題は、それが一瞬にして思考停止をもたらしてしまう点にある。

使命をあまりに高く掲げてしまうと、その他のものが相対的に無価値になっていく。その無残な結果が「犠牲」や「大義のため」という言葉で均らされていく。個々人の生が、機構を維持する物語に回収されていく。そこにある美しさ/おぞましさは、近代的な価値観であり、現代的な価値観ではない。

現代を生きる私たちが胸に抱きたいのは、イデアで満ちた非現実的なヒーロー像ではない。かといって、異能/異世界への逃避でもない。スキルを身につけ、チームを作り、現実の問題を解決する人間だ。そうした人間の在り方を肯定することは、間違いなく新しい世界を言祝ぐことと呼応している。

藤井氏の作品は、全体的に大人っぽいというかダンディーな雰囲気が漂うのだが、それでいてどこか子どもの頃に感じたわくわく感を呼び起こしてくれもする。

きっとそれは、我々が未来に希望を抱くときに感じる気持ちなのであろう。

【Kindle限定】ハロー・ワールド(特典: オリジナルショートストーリー)
藤井太洋 [講談社 2018]

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