『攻殻機動隊S.A.C.』や『東のエデン』で知られる神山健治が原作、脚本、監督を担当しているオリジナルアニメーション。
まず言っておくと、良い映画である。とても良いと言っていい。
神山健治監督らしい社会への視線もあるし、ごく普通の家族愛の話もある。十分にエンターテイメントを満喫できる。
プロットは、繊細かつ緻密である。しかし、それを感じさせることはない。安心して物語に没頭できる。その手腕は見事と言っていいだろう。
ストーリーラインはリアルとファンタジー(夢)の二つで進んでいく。しかし、その二つの関係は、最初ほのめかされるようなものから、じわじわりヒントが示されて、やがては別の形に着地する。そしてその着地は、ストーリーに置いても重要な意味を持っている。心地よい裏切りがそこにはある。
このリアルとファンタジーの二重構造は、単にプロットの展開だけに関与しているわけではない。たとえば、リアルに描写すれば退屈な権力争いしかならない部分が、ファンタジーを用いることでエンターテイメントに仕上げている。このあたりの設定の使い方が実にうまい。唸らされる。
では、ストーリーが語るメッセージはどうだろう。
シジマ自動車の会長は、会社を大きくしてきたという自負があり、また大きくなった会社を安定させたいという気持ちが強かったのだろう。だからこそ「根」を張ることが大切だった。しかしそのことは、大きな飛躍を妨げることになり、新しい社会への夢とぶつかることになった。希望は壁にぶつかったのだ。
一人の少女は、その希望を託された。夢を預けられた。そのことは彼女の名前に刻まれている。
本作は、夢の話だ。人が抱く希望としての夢と、深い眠りで訪れる想像力が全開となる世界としての夢。その両者が、一人の少女の中で重なるとき、この作品は真なる姿を現す。
なかなか、まったく、よくできた作品だ。高畑充希演じる森川ココネが歌う「デイ・ドリーム・ビリーバー」も、じんと胸を打つ。この人はかなり歌がうまい、ということを初めて知った。(ドラマを観ないのでよく知らないのだ)。
神山監督は、『映画は撮ったことがない』で、観客にある種の「欠落」を感じさせるものこそが「映画」であると語っているが、本作は十分にその定義を満たしていると言えるだろう。
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