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アニメ「灰と幻想のグリムガル」

十文字青さんによるライトノベルが原作。私は原作は未読。

2016年1月〜3月でアニメが放映されていて、事前情報なしで観た。

異世界転生ものの建て付けにはなっている。しかし、作品にその文脈はほとんど顔を出さない。チートな武器も出てこないし、「現実世界」視点でのメタな発言もない。その意味で、「このすば」よりは「ダンまち」に近い生粋のファンタジーと言っていいだろう。しかし、世界はもっと過酷である。

簡単に言えば、冒険者にとってゴブリンって強くね? である。そもそも周りにゴブリンがいるだけで村の人間は外出が困難となる。つまり普通の人間からしたらゴブリンですら脅威なのだ。熟練の冒険者だから楽に扱えるに過ぎない。チートな武器も能力ももたない主人公たちは、ゴブリン一体を狩るのにも大苦戦してしまう。

だから本作は最初が非常に地味だ。特に二話、三話は、「これで次に何か起きないとマズイよね」とすら思っていた。でも、基本的に構成というのは考えて練られるものだし、作品に登場した銃は発砲される。地味な話はほぼ確実に次なるハプニングを強調する意図がある。つまり、第四話で何かが起こるのだ。

正直、それほど期待はしていなかった。 (K)NoW_NAMEによるオープニング曲「Knew day」が良かったのと、小松未可子さんの関西弁が耳に残ったので視聴を続けていただけだ。でも、まさかあいつが……、ということで一気に興味が湧いてきた。この話をどう続け、どう着地させるのか。物書きとしても気になるところだ。

物語は、順風満帆に成長を続ける冒険者たちのドキドキワクワク冒険譚、とはなっていない。チームワークがほとんど崩壊しつつあるところから、彼らの冒険は再開する。チームを構成するという基本中の基本からやり直していかなければならない。そう、これはもし存在するならば、冒険者の「日常系」アニメなのだ。きっと、こういう「あるある」がどこのパーティーにも存在するのだろう。


本作はファンタジーではあるが、でもある意味ではファンタジーではない。

主人公たちは、訳も分からず「グリムガル」という世界に放り込まれる。ろくな力も持たず、神(と書いてジーエムと読む)の加護もない。得意かどうか、やりたいかどうかも無視して、とにかく自分のできることを少しずつやるしかない。

こうして現実世界に生きている私たちだって、誰もが仕方なしの世界を生きている。彼のいない世界を生きている。皆が思うのだ。ああ、彼がいてくれれば、と。でも、それは幻想なのだ。あるいはそれは天上から見守る何かなのだ。私たちは、私たちの持ちうる力で、私たちが持ちうる力だけでこの世界と向き合っていくしかない。

誰もが何かを失っている。欠落を抱え、それと寄り添って生きている。

人生をゲーム的に生きることはできるのかもしれない。でも、人生はゲームではない。ゲームは誰かが創造し、そこに意義と目的を与えたものだ。人生はそうではない。人生には意義も目的もない。少なくとも、それとはっきりわかる何かはない。

私たちは、よくわからないままにこの世界に投げ込まれ、喪失感を抱えたまま生きていく。ゲームに慣れすぎた私たちは、人生もゲームのメタファーとして捉えてしまうかもしれない。でも、それはやっぱり真実ではないのだ。

灰と幻想のグリムガル Vol.1(初回生産限定版) [Blu-ray]
中村亮介 [東宝 2016]

灰と幻想のグリムガル level.1 ささやき、詠唱、祈り、目覚めよ (オーバーラップ文庫)
十文字青 [オーバーラップ 2013]

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