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『星に(なって)願いを』(伊藤なむあひ)

伊藤なむあひ氏の短編集。『少女幻想譚』を読んだとき、「あっ、この人やばい人だ」(褒め言葉)と感じたわけだが、その直感は間違っていなかったのだと、本書でも確かめられた。

五編の短編が収録されているが、実につかみところがない。人は死ぬし(というか殺されるし)、不幸は満ちあふれているにもかかわらず、どこか暖かい。いっそ、ヒューマニズムすら感じてしまう。しかし、そこにあるのは虚無なのである。一体これは何なのだろうか。

単純なホラーであれば、著者は読者を恐怖に引き釣り込もうとするだろう。「主人公」の視点にさせるのだ。ヒューマンドラマであれば、著者は登場人物に共感させようとするだろう。「仲間」の視点にさせるのだ。本作は、そのどちらでもない。文体のドライブ感はものすごいのだが、どこまでも冷静な視線が、境界線のように引かれている。

「五人の誰かさん」では、タイトルが示すとおり名前を持つ登場人物は存在せず、「誰か」が舞台の上で演じている。それを読者は眺めることになる。圧倒的混乱があるのだが、それは特に気にならない。それは誰であってもよいのだ。「少年Aと少女Bと死体C」では、特定の固有名詞を持つはずの少年Aが、あっという間にMobへと落とし込まれる。この手腕が見事でああり、やはりそこでも結局彼ら彼女らは誰だってよいことが示される。そして、最終的にパスを回されるのは、他でもない読者自身なのだ。

本作の文体が持つ、一文から次の一文へのものすごい飛躍は、短編(あるいはショートショート)ならではあり、著者は見事にそれを使いこなしている。でも、ただ飛躍しているだけでもないし、ドライブ感だけでもない。そこには読者の認識をゆさぶる何かがたしかにある。でも、それが何なのかはわからない。小説の仕事とは、まさにそのようなものであろう。

個人的には「ものがたりのにおい」の圧倒的な疾走感と、構造的複雑さが気に入った。著者でしか構成しえないワールドがここには広がっている。

▼目次データ:

星に(なって)願いを
首なし姫は川を下る
ものがたりのにおい
五人の誰かさん
少年Aと少女Bと死体C

星に(なって)願いを (隙間社電書)
伊藤なむあひ イラスト:Maya! [隙間社 2017]

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