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逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密(マルコム・グラッドウェル)

一流の大学と、二流の大学。両方に進学できるチャンスがあるとすれば、どちらを選びますか。

むろん、一流の大学です。

なぜって、その大学が一流だからです。日本で言えば、就職が有利になるでしょう。有名な教授とコネクションを持てるかもしれません。入れるなら、有名な(あるいは大きい)大学に入りたいところです。

では、あなたの学力がトップクラスではないとしたらどうでしょうか。

つまり、先ほどの問いは、次のように変化します。

「一流の大学のそこそこの学生になるのか、そこそこの大学の優等生になるのか」

さあ、どちらを選びますか。

グラッドウェルは、後者の選択をオススメしています。なぜでしょうか。それは、人間はひとりで生きているわけではないからです。


人は、自分自身がどういう人間であるのかというイメージを持っています。心理学では、それを<セルフイメージ>と呼びます。

たとえば、私は待ち合わせの時間に遅れるのがすごく嫌なので、だいたい15分前には待ち合わせ場所に着いておいて、残りの時間はブラブラして時間を潰すようにしています。

電車の時間が中途半端にしか無く、20分前に到着するのと、1分後に到着するのであれば、確実に前者を選びます。なぜ、そのような行動を取るのかというと、セルフイメージとして「私は待ち合わせに遅れるのが嫌な人間だ」という認識があるからです。

話がややこしくなってきました。

こう考えてみましょう。

私が一時的な記憶喪失になったとします。会話もできるし、電車の切符も買える。でも、自分自身についての記憶は喪失している。そういう状況です。そんな状況であれば、電車の時間の選択は変わってくるかもしれません。そういう話です。


セルフイメージに関しての問題は、それが主観的な感覚によるものであり、さらにその主観的な感覚はまわりの情報によって左右されることがある、という点です。

グラッドウェルは、大学の選択について以下のように述べます。

 一流の教育機関であればあるほど、学生は自分の能力を低く評価してしまう。そこそこの学校で優等生だった者が、エリート校で劣等生に落ちぶれたと感じるのである。

トップレベルの人が集まる大学に、そこそこの優等生が入ってしまうと、まわりがあまりにもすごすぎて、自信を喪失してしまう。セルフイメージを損なってしまう。そんなことが起こりうるわけです。

 なぜなら、高いハードルを飛びこえたり、困難な課題に取りくんだりする意欲を支えるのは、自分はこれだけできるという「セルフイメージ」だからだ。良好なセルフイメージが持てないと、やる気も自身も出てこない。

この話は、おそろしく幅広い領域にまたがっています。突き詰めれば、「いかにして生きるのか」にすら関わってくるでしょう。

一番身近なレベルでは、タスク管理のお話につながります。ログに基づくタスク管理が有効なのは、「自分はこれだけやった」という確固たる実感がそこに生まれるからです。その実感は、良きセルフイメージを固めてくれるでしょう。

逆に、初めての仕事や慣れない仕事、あるいはタスクが明確になっていない仕事にやる気が湧いてこないのは、「自分はそれができるという」セルフイメージが生まれにくいからです。

このようにセルフイメージは、どんな行動を起こすのか、どんな判断を下すのかに大きく関わってきます。

このお話は、人気ライトノベル作家である川原礫が描く『ソードアート・オンライン』と『アクセル・ワールド』の両シリーズでも顔を覗かせます。

前者では、最新刊『ソードアート・オンライン (15) アリシゼーション・インベーディング 』で、主人公がセルフイメージを自分で強く攻撃してしまい、結果何も行動ができない状態に陥っているシーンが登場します。後者では、似たような状況に「ゼロフィル現象」という固有名詞が与えられいます。

人と心の関係を、テクノロジーの補助線を引きながら描こうとする川原作品ならではです。


グラッドウェルは、セルフイメージについて、さらに話を広げます。

 たとえば国別の幸福度調査で、スイス、デンマーク、アイスランド、オランダ、カナダといった国は、自分が幸せだと答えた国民が多かった。対してギリシア、イタリア、ポルトガル、スペインは、幸せではないという回答が目立った。ではこの二つのグループのうち、自殺率が高いのはどちらだろう? 答えは幸福な前者だ

なぜか。周りの人間が等しく不幸であれば、自分の身に不幸が降りかかってきても、(相対的に)強いショックは受けません。いわば「当たり前」だからです。しかし、周囲がみんな幸せに暮らしている中であれば、どうでしょうか。同じ不幸な出来事でも、感じるつらさは大きくなるのではないでしょうか。

こう考えると、国民の平均所得に関するデータをみても、その国の精神的実体は捉えられないような気がしてきます。むしろ、平均の数字に比べて大きな格差を持つ人々がどのぐらいいるのか。その数字こそを気にすべきなのかもしれません。


こうした比較についての究極的な解決法は、他の人と自分を比較しないことです。それができれば、周りがどうであろうが、自分のセルフイメージが揺るぐことはありません。

が、わかってはいてもなかなか比較を止められないかもしれません。その場合の、プランButは、多様性の中に身を置くことです。比較相手が多様であれば、自分の相対位置を調整できます。

一番マズイのは、__自分の実力以上の大学に入ってしまうのと同じように__高すぎる位置に身を置くことでしょう。時間が経つほどに、「自分はだめな奴」「自分は不幸な人間」というセルフイメージが強化されてしまいます。

もし、あなたがブロガーで、他の人のブログを購読しているとしましょう。そのとき、購読しているブログが「PV100万達成」とか「月間PV20万クリア」みたいな、人気ブログばかりなら、あなたのブロガーとしてのセルフイメージはどうなるでしょうか。

これは深呼吸して考えるべき問題だと思います。


これまでのお話は、一流大学に入るのが悪い選択である、という話ではありません。

自分の身の丈に合わない環境に身を置くのは、精神的によろしくないばかりか、新しい行動を生み出せないこともありますよ、ということです。トップレベルの人ならば、そうした環境で切磋琢磨を行い、さらなる高見にのぼって行かれるでしょう。

でも、その道行きは決して万人向けではなく、選べる人だけが選ぶもの、ということです。

まったく主観的な感想になりますが、最近のネット界隈は、わざわざ自分を不幸に感じられる場所に身を投じている人が結構見受けられるような気がします。あくまで、気がするだけですが。

逆転! 強敵や逆境に勝てる秘密
マルコム・グラッドウェル [講談社 2014]

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