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『How to Take Smart Notes』

タイトル通り「スマートなノートの取り方」なのだが、実際のところはノートではなくカード法である。梅棹忠夫が『知的生産の技術』で示したような話が本書では展開されている。そもそも英語のNoteは、ノート帳としてのnotebookではなく、記録をとることないしはそうしてとられた記録のことであり、その媒体までは限定されていない。その意味で、拙著『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』と同じく、広い意味での「ノート」である。

で、そのノートをカード的に書いていくというのが本書の肝だ。

ちなみに本書が提示する方法の基礎となっているのが、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンが行っていたカードのとりかたで、それがどのように役立つのか、という点を本書では解説してくれている。具体的なカード(/ノート)の解説もあるが、それ以上に全体的・包括的な視点が多い。その意味で、ノート術というよりもノート運用法、というのが本書の適切な位置づけとなろう。

目次は以下の通り。

Introduction

1. Everything You Need to Know
2. Everything You Need to Do
3. Everything You Need to Have
4. A Few Things to Keep in Mind

The Four Underlying Principles

5. Writing Is the Only Things That Matters
6. Simplicity Is Paramount
7. Nobody Ever Starts From Scratch
8. Let the Work Carry You Forward

The Six Steps to Successful Writing

9. Separate and Interlocking Tasks
10. Read for Understanding
11. Take Smart Notes
12. Develop Ideas
13. Share Your Insight
14. Make It a Habit

重要なことはいくつもあるのだが、ひとつ中心的なメッセージを上げるとしたら「白紙の神話」の解体であろう。白紙の神話とは、文章は白紙の状態から書かれるものである、という信念を指す。もしそんな信念に取り憑かれていたら文章を書くことが恐ろしかったり、億劫だったりするのは当然だろうと著者は述べる。しかし、実際はそんなことはない。むしろ、白紙の画面にたどり着くもっとずっと前から「文章を書く準備」は始められるし、始めたほうがいい、というのが本書全体のメッセージである。

具体的にはどうするのかと言えば、「毎日小さく書く」のである。原稿を書くのではなく、メモを書くのだ。何かを思いついたらそれを文章で書き留める。本を読んだらそれについて考えたことを書き留める。このように、「考える」という行為において「書く」という動作は欠かせない。”すべての知的活動はメモから始まる”とまで著者は述べている(どこかで聞いたことのある表現だ)。

その著者の言説は決して大げさなものではない。私たちは書くときに一番よく「考えている」し、そうして書き残せば、後の自分が「考える」際の役に経つ。でもって、毎日少しずつでもそうしてカード(メモ)を書いていけば文章はもっとずっと楽に書けるようになる(少なくとも怯えずには済む)と、著者は白紙の神話を解体する。

具体的な手法としては、slip-boxが挙げられていて、これがまさに梅棹のカード法と同じだ。細かい分類をしていくのではなく、カードを並べていく。その際に、ルーマンの手法の特徴は、独特のナンバリングによってカード同士の「文脈」を保存していくやり方だ。その手法は、現代のデジタルノートツールにも引き継がれていて、Zettelkasten(ツェッテルカステン)という名称で呼ばれることも珍しくない。

しかし、日本人にとってこの発音し難い(そして、やや中身がわかりにくい)表現よりも、ごく普通にslip-box(ないしはslip-box system)と呼んだ方がぐっと身近だろう。そのslip-boxに、どんどんカードを保存していき、また書き留めたカードと「対話」しながら、思索を展開していくことが提案されている。

何一つ奇抜なことはなく、しかも「毎日コツコツやるしかない」という点で、一発逆転満塁ホームランを狙える技法ではないのだが、その分この堅実は方法は極めて強力である。

しかも、この方法は「オープン・エンド」な進め方が意識されている。どういうことかというと、計画(plan)を立て、それに向けて進んでいくのではなく、そのときそのときに興味がある(メモを書きたい)ものについて書けばいいと解くのだ。この手の作業をする人にとって、知的好奇心は空気中の窒素のように充満しているから、なんでもいいから興味あることのメモを取りましょう、というのであれば容易に続けていけるだろう。

そして、そのようなカードが一定量蓄積した後で、原稿や論文などをとりまとめればいい。そのときは、もう白紙はどこにもない。たくさんのメモが溢れる宝の山がそこにあるだけである。

もう一度言うが、このノート運用法は、「締め切りギリギリの論文をなんとか書き上げる」役には経たない。そういう「土壇場」をくぐり抜けるためのモチベーションを刺戟してくれることもない。本書はまるで反対のスタンスだ。

「計画を立てるから、その計画に沿わせるためのやる気が新たに必要になるのであって、もともとあるやる気に沿って行動すれば一番楽じゃん?」

返す言葉もないだろう。でもって、毎日少しずつ対象について思考しておくことで、たしかにそれは「一気にまとめて考える」のとは違った結果が訪れることが想像できる。そこには創発的な現象が起きている。なぜなら、考えることには「時間」がかかるからだ。それは単に総時間数が多く必要ということだけではなく、時間の経過という現象をくぐり抜けないと深まらない何かがあるのだ、ということである。

よって本書は単にslip-boxを導入しましょうというだけではなく、私たちの日常的なワークフローを組み替えましょうと説く。個人的に共感できる話だ。どれだけ最新のツールを導入しても、日常的にノートを取ることを行わないなら、知的生産の変容は生じない。

逆に言えばツール自体はなんでもよいのである。むしろ、毎日に少しでも「書く」ことを入れ込んでいくこと。それが肝要だ。総じて言えば、拙著と非常に相性の良い本なのである。

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