0

『「知」のソフトウェア』(立花隆)

冒頭にこうある。

これから語ってみようと思うのは、知的情報のインプットとアウトプットを長年にわたって生業としてつづけてきた筆者の個人的な覚書きのようなものである。

実際その通りの内容である。多作のジャーナリストである著者が、いかに知的生産活動行っているか、特にそのインプットをアウトプットをどう実践しているのかについてまとめられている。初版が1984年であり、インターネットの話はまったく出てこないのだが、もちろん現代でも有用な示唆は多い。

また、これ以前に発売されている数々の知的生産の技術書が学者(アカデミックレイヤー)の話だったのに対して、本書はジャーナリストの視点である点が特徴と言えるだろう。知的生産活動は、社会の情報化と共に、学問からビジネス、そして一般生活へと裾野を広げているわけだが、ジャーナリズムはちょうど学問とビジネスの間ぐらいに存在するポイントである。その意味で、2000年前後に雨後の筍のように出版されるビジネス分野における知的生産の技術書の先駆的存在と言ってもいいだろう。構成は整っており、文章も流暢でユーモアもあり、全体的に読みやすくしっかりした手応えがある本だ。総合的に言って、必読書と呼んでよいだろう。

あまりグダグダと書くよりは、さっさと本書を読んでもらった方がよいのだが、一点だけタイトルに関した話をしておく。本書は冒頭で、この分野は一般論が成り立たない、と書いている。無理矢理一般化するビジネス版知的生産の技術書に聞かせたい話である。なぜ、一般化できないのか。もちろん私たちは一人一人違うからだ。

私たちは、人間という点で共通はしている。しかし、脳には可塑性があり、環境とフィードバックしながら、独自のニューロンネットワークを構築する。そのネットワークは、もちろん何かしらの機能を持つ。ネットワークがハードウェアだとすれば、OSと呼べるソフトウェアが形成されるのだ。具体的には、情報処理の傾向や得意分野を意味している。

人間の耳に聞こえる音の範囲、見える光の波長などのスペック(ハードウェア的性能)は共通であっても、そうして受信した感覚情報をどう処理するか、という話(OS的性能)になってくると大いに違いが出てくる。だから、画家が描く絵はそれぞれ違ってくるわけだ。

私たちは20年なら20年、30年なら30年生きてきて、そのOSを環境に最適化させる形でカスタマイズしている。しかも、意識的にそれを強化することすらできてしまう(「今年は、教養書をいっぱい読もう」)。結果できあがるOSは、カスタマイズが進みすぎて、もはやそれぞれ別物と言っていいだろう。

もちろん、同じハードウェア素材から生成されているので、共通点がまったくないわけではない。ウィンドウズでもマックでも、水をぶっかければ壊れる、という点は共通している。脳の使い方にも、そうした共通点はあるだろう。が、これは機微の話には通じない。機微の話はそれぞれに違っていて、何をどう考えても、そこに有用なノウハウを見出せるのは、管理者(あるいは管理者に一番近い場所にいる)自分だけである。少なくとも、プロセスをモニターできる立場にあるのは、現代科学の水準で言えば、自意識だけである。

だから、この分野には全体を包括できるような一般論はまず存在しない。ゆえに、主体者は試行錯誤を避けることはできない。書籍で提供される情報は、試行錯誤の動機付けか、あるいはほとんど確実に無用な一手を減らすくらいの貢献しかできないのだ。だからこそ、この分野の話には飽きるところがないわけでもあるが。

▼目次データ:

●新聞情報の整理と活用
●雑誌情報の整理について
●情報検索とコンピュータ
●入門書から専門書まで
●官庁情報と企業情報
●「聞き取り(インタビュー)取材」の心得
●アウトプットと無意識の効用
●コンテ型と閃き型
●材料メモ・年表・チャート
●文章表現の技法

「知」のソフトウェア (講談社現代新書)
立花隆 [講談社 1984]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です