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『アイデア大全』(読書猿)

つまりは、発想法大辞典である。

カタログであり、指南書であり、さらには読み物でもある。実用的にも役立ち、人文的にも楽しめる。そういう本だ。

著者は「アイデアを生み出す」技法をさまざまな分野から収集した。通常「発想法」というカテゴリではあまり考慮されない分野にもハンティングの手は伸びている。発想法はそうでなくてはいけない。既存のカテゴリを上書きすること。それこそが発想であり、アイデアなのだ。

そうして集めた雑多な技法群は、大きく2つに、細かくは11に分類されている。頭の動かし方のパターン、というわけだ。

注目したいのは大分類──「0から1へ」と「1から複数へ」──であり、この二つは、根本的な部分で異なっている。前者は発見であり、もっと言えば発掘である。後者は組み合わせの妙だ。一つの成果物は、この両方を用いて、しかも、まっすぐなリニアではなく、網の目のようなネットワークプロセスの形で用いて、生み出される。発想技法にも得意分野があるのだ。

そのように考えたとき、著者がはじめとおわり、そして境目に何を置いたのかは興味が湧いてくる。そこには間違いなく意図が働いているからだ。意識的であっても、無意識的であっても、そこには何かがあるのだ。

冒頭のナンバー01は「バグリスト」(Bug listing)であり、自分が感じる「不愉快なこと、出会った嫌なこと(バグ)」をリストアップしていく手法だ。非常に身近な手法であり──成人するまでに嫌な思いを一度も感じたことがない人間は存在しないだろう。むしろ自我は全能感の欠如から生まれ得る──、今すぐにでも、誰にでも始められる手法となっている。導入にふさわしい手法だ。そしてこれは、本書のことはじめを提示する意味合いも込められている。

では、ラストのナンバー042は何か。「夢見」(Dream Works)である。必死に頭を働かして、後は寝る。夢に任せる。そのような手法だ。意識ではなく、無意識の力を積極的に利用する。ある意味で、「技法」とはほど遠い──なにせこの手法のコアに意識的操作はまるで含まれていない──手法なのだが、実際いろいろ考えた後でよく眠った朝に発見をした(あるいは夢の中で手がかりを掴んだ)と報告する科学者は少なくない。これは寝ている間に行われている(と推測されている)脳の記憶整理が関係しているのだろう。

マイケル・コーバリスが『意識と無意識のあいだ』で書いているように、私たちはぼんやりしているとき、あるいは睡眠中に、記憶の全体を活性化させ、強調と減退を発生させることによって記憶の整理を行っている。そのときに生じる無作為な共鳴がこれまで結びつきを感じることのなかったある概念と別の概念をリンクさせることは十分にありえる。むしろ、こういえるだろう。発想技法とは、このような脳内メカニズムを意識的に発生させることなのだ、と。だからこそ、発想技法の最後が「夢見」であることには十分に納得がいく。意識ができることは、無意識という関数(function)にデータを投げるだけなのかもしれないのだ。

最後に、境目にも注意を向けておこう。第一部と第二部の間に配置された技法はなんだろうか。

第一部の最後は、ナンバー19の「問題逆転」(Problem Reversal)となっている。自分が問題と思っていることを、逆にメリットにできないか、と考えることだ。言うまでもなくこれは、ナンバー01の「バグリスト」と呼応関係にある。

では、第二部の冒頭はどうだろう。ナンバー20は「ルビッチならどうする?」(How woudl Lubitsch have done it?)である。問題に直面したとき、「もし名匠ルビッチ監督だったら、どのように考え、どんな手を打っただろうか?」を自問することで、自分の埒外にある発想を引っ張り出す。そんな手法だ。非常に有用な手法でもある。

「もし、諸葛亮孔明ならどんな罠をしかけるか?」
「もし、ドラッカーなら何を言うか?」
「もし、本田宗一郎なら何を開発するか?」

このような問いは、習慣的思考から脱出するためのはしごとなる。とは言え、本人に直接聞くことはできない。言い換えれば、これを行うためには、他者の思考のパターンが、自らの中に取り込まれていなければならない。普段そのパターンは、「他人のもの」として内在化しているが、どのような形であれそれが血肉になっていることは間違いない。その血肉を意識的に引き出し、自らに憑依させるかのように行使するのがこの技法である。逆に言えば、あるいは正確に言えば、その発想はルビッチ(あるいは諸葛亮孔明やドラッカーや本田宗一郎)そのものの発想とは違う。自分が出した答えと、本当に本人に聞いて出てくる答えは同じとは限らない(むしろ、絶対に違うだろう)。だからそう、結局その考えは自分の発想のパターンなのだ。単にそれが「自分のもの」として意識されていなかっただけである。

このように考えると、ナンバー19の「問題逆転」に別の見方が生まれてくる。その技法は、言い換えれば、目の前の事象に対してに常に天の邪鬼な見方をするもう一人の自分の疑似人格を立ち上げることに等しい。つまり、「ルビッチならどうする?」ではなく「天の邪鬼なら自分ならどうする?」と問うわけだ。ここで、「問題逆転」と「ルビッチならどうする?」は綺麗に接続される。

境界線はあるようでいて、ないようでもある。何せ「脳内で生じている出来事」という意味では共通なのだから、それも当然だろう。意識と無意識の線引きすら(あるいはその対立軸ですら)恣意的なものにすぎない。

▼目次データ:

まえがき 発想法は人間の知的営為の原点

第I部 0 から 1 へ
第1章 自分に尋ねる
第2章 偶然を読む
第3章 問題を察知する
第4章 問題を分析する
第5章 仮定を疑う

第II部 1から複数へ
第6章 視点を変える
第7章 組み合わせる
第8章 矛盾から考える
第9章 アナロジーで考える
第10章 パラフレーズする
第11章 待ち受ける

アイデア史年表
索引

アイデア大全――創造力とブレイクスルーを生み出す42のツール
読書猿 [フォレスト出版 2017]

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