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『知的トレーニングの技術〔完全独習版〕』(花村太郎)

「知的生産の技術」でもなく「知的生活の方法」でもなく、「知的トレーニングの技術」である。少し不思議なタイトルだ。現代ならおそらく「トレーニング法」とでもなっていただろう。もちろん本書では技術や方法論がみっちり紹介されているので、どちらであっても問題はない。

1980年に発売され、1982年に単行本化された本書は、おそらくその当時の知的な生活を営む人(あるいは営もうとしている人)に強い示唆を与えただろうことは想像に難くない。その本が、完全独習版として現代に復刻される意義はどこにあるのだろう。再び知的生産に関するブームがやってきた? おそらくそうではないだろう。30年以上もずっと、バブルがどうあろうが、世界がどうあろうが、知的な営みを続けてきた人はいたのだ。強い風が吹いているとき、海面は荒々しく騒いでいても、その下に潜れば案外海は平穏なのに似ているかもしれない。なんにせよ、ブームとはまったく関係なく、これまでそうされてきたようにバトンが手渡されただけだ。それこそが、必要なことでもあろう。

「知的トレーニング」とは、言葉から受ける感触通り、知的な高まりを求めるための行為だ。ハイ・インテリジェンスをゲットせよ。なんのために? 著者はこう語る。

 だからこの本は、なにも専門学者になったり、世のいわゆるチシキジン・ブンカジンになるためのノウハウ書というわけではない。むしろ、ある意味では、ぼくらの目標はもっと高いところにおかれている、といっていいかもしれない。なぜならば、世界と時代と自分の人生にたいして、より自覚的により賢くかかわりたい、という知への願望は、職業としての学問や知性を越えた、もっと普遍的で根本的な人間的欲求に根ざしたものだと思うからだ。

「より自覚的により賢くかかわりたい」という欲望は、古代ギリシャの「よく生きる」という指針に呼応するだろう。私たちはそれほど昔から、この種の営みを続けてきたのだ。実証的に人間の定義を生み出してきたと言えるかもしれない。そして、「よく生きる」ためには、世界と、時代と、自分の人生に対して知識を得、頭を働かせる必要がある。ルールを知らないゲームを、うまくプレイできる理由はない。「よく生きる」ことと、知への渇望は表裏一体なのである。

本書は、知的生産技術系の新書に比べれば厚みもあり、内容も知的ハードさを持つものが多い。その点を考慮すれば、まったくの初心者向けとは言い難いだろう。まずは新書のエッセイ風味のある本を何冊か読了し、「知的ストレッチ」を済ませてから臨むのがよいと思う。

とはいえ、イントロダクションで紹介されている「知的トレーニングのための五つの原則」は、指針としてすぐに取り入れることができるくらい極めて簡潔で有用なものだ。最後にそれを紹介しておこう。

原則一:創造が主、整理は従
原則二:自分一身から出発しよう、等身大の知的スタイルをつくろう
原則三:知の全体像を獲得すること、そのために自立した知の職人をめざす
原則四:方法に注目する
原則五:情報から思想へ

以上にピンと来るなら、本棚に置いておいて間違いはない本だろう。パラパラ読むだけでも示唆が得られるはずだ。

▼目次データ:

準備編 知的生産・知的創造に必要な基礎テクニック8章
・志をたてる―立志術
・人生を設計する―青春病克服術
・ヤル気を養う―ヤル気術
・愉快にやる―気分管理術
・問いかける―発問・発想トレーニング法
・自分を知る―基礎知力測定法
・友を選ぶ・師を選ぶ―知的交流術
・知的空間をもつ―知の空間術
実践編 読み・考え・書くための技術11章
・論文を書く―知的生産過程のモデル
・あつめる―蒐集術
・さがす・しらべる―探索術
・分類する・名づける―知的パッケージ術
・分ける・関係づける―分析術
・読む―読書術
・書く―執筆術
・考える―思考の空間術
・推理する―知的生産のための思考術
・疑う―科学批判の思考術
・直観する―思想術
さまざまな巨匠たちの思考術・思想術―発想法カタログ

知的トレーニングの技術〔完全独習版〕 (ちくま学芸文庫)
花村太郎 [筑摩書房 2015]

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