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『いつも「時間がない」あなたに』(センディル・ムッライナタン,エルダー・シャフィール)

奇妙な表現となるが、欠乏で満たされた心の動きについて書かれた本である。

たとえば、貧困というものがある。それは単に一時的にお金が無いことではなく、そのような状態が継続的に続いていることを意味する。そのような状態にいる人たちに、一定のお金を与えたとする。どうなるか。最初はうまくいくものの、結局は元の状態に戻ってしまう。なぜか。ここで、彼らが愚かしいからと答えれば、話が終わってしまう上に、非常につまらない。著者らは、こう答える。彼らはお金が無いからこそ、お金が無くなってしまうんだ。循環論法だろうか。そうではない。お金がない、あるいはお金に追われている状況は、人間の認知活動を非常に弱体化させてしまうというのが本書の主張である。

私たちは何かに追われているような状況になると、その対象にものすごく集中する。それはそれで良い結果をもたらすこともあるが、集中したこと以外は考えないという結果ももたらす。いわゆる視野狭窄だ。他に考えるべきことを考慮に入れなくなったり、価値判断の基準が歪んでしまったりしてしまうのだ。これで一歩、合理的な行動から遠ざかったことになる。

さらに、私たちが何かを気にしている状況は、認知的負荷も生じさせる。そのような付加は、その他の認知作業にも影響を与え、さらにセルフコントロール力も害してしまう。しかるべき判断や、行動がとれなくなるのだ。これでまた、合理的な行動から遠ざかった。そうしたことの総合で、貧困的状況に置かれた人間は、貧困的状況から逃れられなくなる。本書の中心的なテーマは、そうした貧困状況をどのようにすれば改善できるのかだが、視点を変えれば、同じことは時間にも言える。

時間に追われている人は、まさに時間に追われているがゆえにそれを改善する行動がとれなくなる。少しくらいの「余裕」を与えられても、時間が経てば元の木阿弥だ。よく耳にする話ではないだろうか。構造自体は、貧困とまったく同じなのだ。なんなら、時間的貧困という言葉をいまここで作ってもいい。

ポイントは、処理能力である。欠乏が処理能力を欠損させるならば、いかにすれば処理能力が本来のスペックを発揮できるのかを考えればよい。本書ではそのためのアドバイスも見つかるし、セルフマネジメントにおいて役立つ話も多い。

考えるべきはお金や時間といった直接的なことがらだけではない。むしろ、人の判断や行動を生み出すための処理能力マネジメントこそが肝かもしれない。

いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学 (早川書房)
センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール 訳: 大田直子[早川書房 2015]

いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール 訳: 大田直子[早川書房 2017]

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