「権威は消えたが常識は残った」
いまだに常識は残り続け、私たちの行動規範として機能し続けている。
常識は、なにせ常識なので、目に見えない。その意味では空気みたいな存在だ。そして、それが社会を動かしていく。私たちは是非ともその力学を知っておくべきだろう。それに抗いきれないとしても、動き方を知っておくことに損はない。
本書は、タイトルが示すほど「常識」の研究に集中してはおらず、話題は散漫な印象を受ける。さらに「Ⅰ 国際社会への眼」は、国際関係に疎いと分からない部分も多い。しかし、「Ⅱ 世論と新聞」あたりからぐっと面白くなり、そのままどんどんと吸い込まれていく。やはり現代的な問題なのだ。
何をどう問題にするのか、についての問題(「”問題化”という問題」)、誤用・欄用による言葉の死、「感情の充足」だけを目指す正義の暴走、情報蓄積のなさに起因する浅い情報伝達……
つい最近、いや昨日のメディア批評として聞いても頷ける話だ。考えてみれば、これは当然だろう。なぜなら、上記の問題は構造的に閉じているからだ。よって、黒船襲来のような強いインパクトを持つ外的要因がなければ、変わりようがない。
たとえば、「感情の充足」だけを目指す正義の暴走が仮に問題視されても、その是正を「感情の充足」に求めれば、状況は一周回って元の場所に返ってくる。そうやって、まるでループ構造に閉じ込められたみたいにこの社会は進んできたのだろう。現代では、そこにほつれが見え始めているとは言え、まだまだその構造は強固で強力である。
そのことは肝に銘じておく必要があるだろう。常識は残り続けているのだ。