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後は全力で殴り返すだけ-独学大全に想う

最近いろいろな人とポッドキャストをしているのだが、そのたびごとに『独学大全』が話題に上がる。なんといっても何かを言わずにはいられない本なのだ。

書かれている内容が役立つ点はある。ただし、新しい知見をたくさん得られたかというと別段そういうわけではない。特に前半部分は私の得意分野だと言ってもいい。その意味で新発見は少ない。

しかし、あの内容、あのボリューム、あの値段で、この本がしっかり売れている、という事実は私を打ちのめす。そんな本を世に送り出そうと決意した編集者と、それにGoサインを出した編集長と、その期待に応えて書き上げた著者の存在に震えてくる。

まるで目一杯助走をつけて繰り出された右ストレートをまともに受けた感じなのだ。

そうなれば、あとは簡単である。ふらふらとでも立ち上がり、口の中に溜まった血をぺっと吐き出しながら、「へへっ、いいパンチ持ってるじゃねえか」とファイティングポーズを取るだけだ。

もちろん、その中には強がりも含まれているだろう。あこがれだってあるに違いない。でも、芯にあるのは自分も渾身の一撃をくりだそうという決意である。著者のエネルギーがたっぷり乗った一撃を。

「なんとなく、ビジネス書ってこういう感じで書くものですよね」とお行儀よく文章を書ければ、それはそれで一つの仕事として成立するのかもしれないが、読者が読みたいのはそれなのだろうか、という思いは残る。もちろん著者だって、それを気にするあまりステップが鈍くなったり、ストレートを振り抜けなかったりする。書き手にとっても、読み手にとっても嬉しくない結果だ。

そう。やっぱり読者は頭を打ち抜かれたいのである。ああ、自分はこの本を読んだのだ、理解できたかどうかはさておき、この本を読めてよかったのだと思いたいのである。

そういう本が、どれくらい瞬間的な売り上げを作ってくれるのかはわからないが、しかしそうした思いのやりとりが読書という文化を長生きさせることは疑いないだろう。他のメディアでは絶対に代替できない感覚がそこにはあるのだから。

「本を書く」という行為は、「その人が本を書く」という文脈付けで理解していきたい。アクセントは「その人が」にある。もちろん、優秀なライターがテーマについてコンパクトにまとめるその技術は一見の価値がある。それによって、円満な情報伝達が行われることも間違いないだろう。

しかし、読書好きはやっぱり脳天をぶち抜かれたいのである。しびれるような感覚に揺さぶられたいのである。ひとりの読者として強くそう思う。

お行儀のよい本は、納得はするけども、満足はできない。享楽には届かない。有用で役立つことはあっても、その線を超えることはできない。必要なのは、たっぷりスピードが乗った右ストレートなのである。

だから後は全力で殴り返すだけだ。腕をブンブンを振り回しながら。

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