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『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である 増補新版』(吉川浩満)

本の存在自体は以前から知っていたのだが、手を伸ばすことをしていなかった。タイトルから解剖学に関する本だと勝手に思っていたからだ。浅学なことこの上ない。

本書のタイトルはマルクスの「人間の解剖は、猿の解剖のための一つの鍵である」という有名な一節から来ているらしい。ちょうど同じ時期に読んでいた國分功一郎の『スピノザ――読む人の肖像』でも言及されていたのできっと有名な言葉なのだろう。というか、自分だってどこかでこの言葉に遭遇していてもおかしくない。にもかかわらず、本書を解剖学の本だと思い込んでしまっていた。嗚呼、人間の認知の偏りよ!

本書はまさにそういった「人間」の偏りや誤りに目を向ける一冊である。もちろん、それだけではない。広く「人間的なもの」を土俵に載せる一冊である。一つには認知革命以降にさまざまに発展してきた科学とそれに基づく人間観の変容、もう一つはゲノム編集など生物そのものに精緻にメスを入れるバイオテクノロジーの進歩。この二つが私たちが備える「人間観」を強く揺さぶっている。その振動は、いまだ落ち着くところを見せず、混乱と不安を──あるいはその反動からくる憎悪を──高めてしまっている。

本書はそうした状況をいったん整理しようと試みる著者の野心的な『人間本性論』(仮)のために準備された文章たちをまとめた本である。ややこしい? まあそうかもしれない。とりあえず本書はその『人間本性論』(仮)そのものではなく、そこに至るための道筋を確認するための資料といった位置づけになるわけだが、そうした資料だけでも十分に読み物として面白いのは著者の筆致ゆえであろう。

ともあれそうした背景を持つので本書の内容はバラエティーに富む。章としては「認知革命」「進化と絶滅」「人物」「作品」の四つが立てられているが、その中に対話・対談あり、書評あり、論考ありと幕の内弁当も顔負けのラインナップである。著者の「人間にかかわる新しい科学と技術についての要約と評論を集めた一冊となった」という表現はまさに的を射ていると言えるだろう。

さて、本書に関してだが、個人的には非常に勇気をもらった一冊である。

まずこういうスタイルの本も面白いという発見があった。私もさまざまな場所に文章を書き散らしているタイプの人間なのでそれをまとめたいとずっと考えていたのだが、それをどうまとめたらよいのか──言い換えれば一冊の本として面白いものになるのか──が見えていなかった。ある種の完璧主義が顔をのぞかせ「ちゃんとした本にしないと」という気ばかりがはやって結局手を付けられていない状態が続いていた。ようするに『人間本性論』(仮)を完成させないとお披露目できないと思い込んでいたのだ。でも、そうではないぞ、ということを本書を通じて理解した。これはこれで面白いし、なんならこちらの方が多義的に愉しめる場合すらあるぞ、とわかったわけだ。よって自分でもこうした本作りをやってみようと決意した。

次に、その『人間本性論』(仮)の面白さである。実際本書は『人間本性論』(仮)ではないわけだから、その匂いというか気配から感じる面白さなのだが、そこに自分と通じる興味を感じた。私も以前から、行動経済学的な知見を織り込んだ仕事術──そのとき流行りの本に合わせて『ヤバい仕事術』(仮)と呼んでいた──を提唱したいと考えているのだが、言ってみればそれは新しい人間観に応答できる仕事術ということになるだろう。そういうものはこれまでにあまり語られて来なかったし、語られたら面白いに違いない、という感覚を本書を読んで強くした。これは心強い感覚である。別の人が作ったプロトタイプを見て、自分の仕事に自信を持つのは変なものだが、しかしたしかにそういう感覚があったのだ。

仕事術やライフハックは、どうしても個人主義的な側面が強く出てきてきわめて「モダン」なものになってしまう。しかし、そうしたものの袋小路感は改めて確認するまでもない。また、安易な自己責任論を補強してしまうことで、市場の原理が強くなってしまう弊害もある。こればかりは仕方がないでは済ませられない。私たちの人間観を新しくすることにつながるノウハウが提示できるなら、きっとそれは大きな仕事になっていくだろう。科学的なものと人文的なものと実用的なものをうまく影響させ合わせるようなそんな構図。そういうものが未来の私たち、というか現在の私たちにすら必要なのではないか。

というわけでここまで本の中身の話はほとんどしていないわけだが、個人的には「人物」の章が面白く読めた。いまだにドーキンスは「名前だけ知っている人」でその著作を読んだことがないのだが、ぜひとも読まなければという気持ちにさせられたし、本屋で見るたびに手を伸ばしかけていた多田富雄の『免疫の意味論』は”必ず読む本リスト”に加わった。そんな風に一冊の本に影響を受けて他の本も読みたくなること自体が幸せなものである。そしてそれは、個人主義というものがいかに狭い視野しか持たないのかの証左でもあるだろう。

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