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アニメ『さらざんまい』

奇想天外であり、幻想的であり、実に記号的な作品である。

カッパ。なぜカッパ?

私はそれを喝破することはできないが(失礼)、そんな細かいことを気にしても仕方がない。シュールさを飛び越えて、ほんとんど悪いジョークの世界に飛び込んでしまったのではないかと思わされる第一話であったが、全体を通してみれば、非常に真っ直ぐな作品だったと言えよう。

つながり。

言うまでもなく、本作を貫くテーマである。では、その「つながり」とは何だろうか。

作中に何度か次のようなセリフが出てくる。

「はじまらず、おわらず、つながれない者たちよ」

これを逆向きに捉えてみよう。つながれるものたちには、はじまりがあり、おわりがある。つまり、つながりは切断と背中合わせなのだ。なぜか。

それは、つながりは異なる二者間によって交わされる何かだからだ。私がいて、あなたがいる。だから、つながれる。

「欲望を手放すな」

このセリフも何度も登場する。さあ、どの角度でもいい。自分の手を伸ばしてみて欲しい。上でも下でも右でも左でも斜めでもいい。手を伸ばした方向は、確実に「あなた」からは遠ざかっているだろう。手を伸ばすという行為は、自己から他者に向けてベクトルを設定することなのだ。言い換えれば、私は私自身に手を伸ばすことはできない。

「つながる」という言葉は、他者を自分の中に取り込み、それを自己同一パラダイムの中で統治することではない。そのような歪んだ欲望のあり方は、エヴァンゲリオンが人類保管計画で示した通りだ。統一された自己の中にあっては、私たちは他者を持たない。手を伸ばすことができない。

カパゾンビ化してしまったものたちはどうだっただろうか。完全完璧な、決しておわることのないつながりを欲していたのではないだろうか。顕現しえない他者性の中で、ゆっくりと溺れ沈んでいったのではないだろうか。

ちぎれたミサンガが示すように、つながりとは「切れうる」ものだ。なぜなら、つながりは他者なる両者によって交わされるから。決して同一にはなれない、異なる欲望を持つもの同士の刹那的な交流。それが「つながり」である。「切れうる」からこそつながれるのだし、つながれたとしてもまた切れてしまう。でも、つながろうとする気持ちがあるかぎり、私たちはつながりを新しく紡いでいける。

欲望であれ、希望であれ(その裏返しの絶望であれ)、それは他者へ伸ばされる手なのである。その手が相手をうまく掴まえられるのか、それとも拒絶されるのかはわからない。うまくつなげたとしても、どこかで切れてしまうことだってある。それはとても怖いことだ。

だからといって、自分の手と相手の手を融合すればいい、というものではない。それは、その瞬間から「つながり」ではなくなってしまう。私たちは、切れてしまうことを覚悟した上で、「それでも」と手を伸ばすのだ。つながるために。

欲望や希望を手放してしまうこと。手を伸ばすことそのものをやめてしまうこと。それが死を意味すると本作の最終回は繰り返し提示してくる。私たち動物の欲望が種の保存に駆動されているのと同じように、理性ある人間存在が特有に抱く欲望であっても、それは「私」という存在の保存に駆動されている。言い換えよう。何かに向けて手を伸ばすという行為そのものが、主体なのであり、あなたそのものなのだ。

ここで言う「主体」とは、近代西洋で育まれてきた個人の個人性を担保するようなイデアルなものではない。あくまで、情感的かつ生物的な反応の仮想的中心点にすぎない。だが、それがいくら仮想的なものであれ、やはりそれはそこにあるのである。私はここでデカルトに同意せざるを得ない。「我欲する。ゆえに我あり」なのだ。

私と私が欲する他者がいて世界は成立する。というよりも欲する他者がいない限り、私というものは立ち上がらない。この二つは完璧に影と光に対応する。一方で、その欲する気持ちが完璧に満たされることはない。世界は傷つきで満ちている。

それでも。そう、それでもその欲望を手放すなと本作は言う。たとえ傷つこうとも、他者に向けて手を伸ばすことを止めようとするなと告げる。

すべてを自分の世界に取り込むような領土化(あるいは共感による世界の同一視)でもなく、かといってどこにも手を伸ばさずに自己の中に閉じこもるのでもない。どちらにせよ、そこには自分ひとりしかない。しかし、その自分は他人をまなざして(あるいは他人にまなざされて)立ち上がったもののはずである。だから、スタートからして歪んでいるのだ。

再度述べよう。「つながり」とは、決して同一にはなれない、異なる欲望を持つもの同士の刹那的な交流なのである。それは切れたり、消えたり、見失ったりしてしまうものだ。そこに永続性を求めると、変質してしまうものだ。

テクノロジーの進歩によって、私たちはこれまでよりもはるかに「つながれる」ようになった。でも、私たちはその「つながり」方を把握しているだろうか。他者を他者としてなお、それに向けて手を伸ばす覚悟はできているだろうか。

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