Tak.氏によるアウトライン・プロセッシングシリーズの第三弾。全二弾は以下の二冊。
第三弾となる本書では「長めの文章を書く」行為に焦点が当てられている。目次は以下の通り。
Talk A 「書くためのアウトライン・プロセッシング」前史
Process 1 「発想のタイムライン」から始める
Process 2 「発想のタイムライン」から「発想のアウトライン」へ
Process 3 「発想のアウトライン」から「文章のアウトライン」へ
Process 4 「文章のアウトライン」から「文章」へ
Talk B 「書くためのアウトライン・プロセッシング」外伝
四つのプロセスが、二つのトークでサンドイッチされている。いささか風変わりな構成だが、まさしくこうした構成が生まれる点が、アウトライン・プロセッシングの魅力であろう。
さて、本書のポイントは四つある。
- 長い文章を書く上でのアウトライナーの使い方
- いかにアウトラインに「ケリ」をつけるのか
- アウトライナーにおける「発想」とは何か?
- プロセス型アウトライナーとしてのWordの有用性
まずタイトルが示すように、文章を書く上で(特に長い文章を書く上で)アウトライナーをどう使うのが解説されている。妙な言い方になるが、ある意味で「王道」的なアウトライナーの使い方であろう。
しかし、その王道が持つ難しさが現実にはある。それが「いかにしてアウトラインにケリをつけるのか」という問題だ。
一般的なアウトライン技法、つまり最初にしっかりした構成/アウトラインを立て、後はその通りに書き進めていくという手法とは違い、アウトライン・プロセッシング(シェイク)では、実際に書いた本文をベースにアウトラインが組み替えられていく。そして、組み替えたアウトラインが要請する本文が新たに書かれる。そうして新しく書かれた本文は、さらなるアウトラインの変化を呼び……と、循環的に続いてしまう。つまり、終わりがない。
そのシェイクにいかにして終わりをもたらすのか。その重要な問題が本書では検討されている。
正直なところ、「シェイクの終わり」は見極めるのが難しい。おそらく、どうすればシェイクを終わらせられるかの方程式は確立できない。一冊一冊の本において状況が違ってくるからだ。本書でもそうした方程式が提示されているわけではない。しかし、「こういう状態になったら、ひとまずは終わりといえる、あるいは終わりに向かって進んでいく判断が取れる」という指針は提示されている。その指針は、真っ暗な執筆の海の上では、一筋の光を投げ掛ける灯台となってくれるだろう。
まずこの点において本書はきわめて有用であり、実用的である。しかし、それだけではない。
本書は「アウトライナーにおける『発想』とは何か?」という問いに斬新な答えを提示している。本書が提示する答え──文章を書くこと──は、実用的な側面を超え、さらに言えば「原稿を書くこと」すらも超えて、示唆に富んでいる。どういうことか。
簡単に言えば、私たちの思考は文の生成と共に進んでいくのだ。あるいは、文の生成と同時に惹起する「思考」のスタイルが確実に存在している。だからこそ、書くためのツールは、考えるためのツールとなる。ゆえに、アウトライナーは思考のためのツール(もっと言えば思考のOS)になりえるのだ。
むろんそれはアウトライナーに限ることではない。私たちが書き留めるために使う道具=ノートすべてが、そのためのツールになりうるのである。
本書でその論点が詳細に掘り下げられているわけではないが、同じ著者の『思考のOSとしてのアウトライナーを通じて「個人的」情報ツールについて考える』はそうした議論の広がりを感じさせるし、おそらく今後も展開されていくことだろう。
書くことと考えることの呼応。
きわめて重要なテーマであることは間違いない。
最後4つめのポイントは「プロセス型アウトライナーとしてのWordの有用性」であり、昨今ないがしろにされつつあるWordの復権とかかわっている。「えっ、今さらWordなんて使ってるんですか」と思う人ほど読んでもらいたい内容である。
もう一つの仕事
上記のように、本書は知的生産活動における優れた技術書であるが、それと同時に言葉の「整備」も行われている。たとえば「発想のタイムライン/発想のアウトライン」の二つの峻別は、今後この手の話をするときに一つの足場として機能してくれるだろう。
そうなのだ。概念を認識し、それに言葉を与えることは極めて重要である。自分自身のためという以上に、そのことについて議論するグループのために役立つのだ。
思い出そう。私たちの思考は文の生成と共に進んでいく。概念(言葉)の整理/整備は、そのまま私たちの思考と議論の整理/整備につながっていく。
むろん、あらゆるコミュニケーションの実体が誤解でしかないように、言葉の生成および流通は誤ったイメージを流布する一助になってしまう。しかしそれは言葉が持つ基本的な性質でしかなく、どう細工をほどこそうとも生じてしまう現象なのである。
それよりも、何かしらの概念が名指されたことで生まれる議論の力にこそ注目したいし、本書は見事にその仕事を成し遂げていると言えるだろう。
「発想のタイムラインから発想のアウトラインへと変換する」
たったこれだけの一文でも、展開できる思考は無数にある。言葉という存在が、事象を「まとめる」力がなければ、到底不可能なことだろう。そしてそれは、アウトラインの項目が、一つ上の項目によって「まとめられる」ことと基本的には相似なのである。
さいごに
ともあれ、そういうややこしい話は抜きにして、「まとまった文章を書くのが苦手」「アウトラインとかうまく使えない」という人にとっては、非常に「使える」一冊である。最終的にアウトライナーというツールを自分で使うかどうかは別にして、そこで起きている「知的作用」の内実を垣間見れるのは、ほとんど本書以外では不可能に近いくらいだ。それくらいに実際例が豊富というか、本書そのものが実際例なのである。
もともと文章読本の類いは自己参照的にならざるを得ないのだが、本書はもっと積極的に自己を参照し本書それ自体を一つの例に仕上げてしまった。ここまで入り組んだ本を書くのは、相当にハードな仕事だっただろう。ただただ感服するばかりだ。