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『人生ミスっても自殺しないで、旅』(諸隈元)

不思議な本だ。少なくとも素直な本ではない。帯には「哲学的思考エッセイ」とあって、間違いなくそうカテゴライズするしかないのだが、そんなにストレートな本ではない。

文体も、晦渋さはないものの、まっすぐには読ませてくれない。話題がさまざまに散らばっていくだけでなく、著者が改行のたびに思考を刷新していく。人によっては、それは迂遠さを通り越して、むしろいらだちの源になるだろうと予想できる。自分だって、スラスタ読めたわけではない。ときにイライラしたこともある。

しかし、ページをくる手は止まらない。著者のエキサイティングな旅行とうねる思考が知らない間に私に続きを読むことを促してくる。いったいぜんたい、この本は何なのだろうかと考えている間に、一つの旅が終わる。読者の旅と著者の旅が。

それにしても面白いタイトルだ。「人生ミスっても自殺しないで、旅」。頭から読んでいくと、「自殺しないで」という著者からのメッセージかのように思えるが、読点を挟んで最後まで読み終えると、「自殺せずに旅をする」という一つの文が立ち現れる。これは「自殺せずに旅をした」という著者の報告でもあるだろうし、「自殺せずに旅をしてみてはどうか」という提案でもあろう。あるいは、そのどちらでもない「言い切れなさ」が表現されているとも言える。

目次に並ぶ章のタイトルも、同様の言葉遊びが仕込まれている。

はじめに
1:自殺するなら旅に出よう――イギリス
2:自殺するなら旅に出よ――アイルランド 
3:自殺するなら旅に出――ルーマニアとブルガリア
3・1:自殺するならブルガリアを出よう――ブルガリア
4:自殺するなら旅に――旧ユーゴ前編
5:自殺するなら旅――旧ユーゴ後編
6:自殺するなら――ウィーン
7:自殺するな――ドイツ
おわりに

あるものの印象が、その切り口で変わってしまうこと。逆に言えば、ある状態の印象はその段階での切り口が与える印象かもしれないこと。この言葉遊びには、そのような意味の変化、変転が響いている。

本書全体を通して感じる印象も同様だ。著者は一つの旅を通して一つの変化をくぐり抜ける。何がどう変わったのかを明示する必要はない。それは著者の変化であり、著者だけが自覚すればいい話だ。しかし、この話を「若い人間が、苦労する旅を通して、人格を向上させる」のような安直な構造で捉えては台無しである。粗い解像度で捉えれば、この話はたしかに「そういう話」になってしまうのだが、本書全体を通してそうした解釈をはねのけるような雰囲気が発せられている。それはとても大切なことのように思う。

だからこれはもう──他の文学作品と同様に──直接読んでもらうしかないだろう。哲学者ヴィトゲンシュタインに憧れた青年が、自殺するつもりで親のお金でヨーロッパへと旅立った話、みたいな要約はきっと本書について何も伝えていない。本書は旅についての本であり、旅とは風景と経験によって変化をくぐり抜ける行為である。その折々に生まれる切実さが、しかし切り口によって変じていくその経験こそが、本書の魅力であろう。

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