先に『すべて名もなき未来』を読んだ影響もあるかもしれないが、私は本作を「物語についての物語」として読んだ。
まずこの物語は、多層にわたって展開し、その後、多重へと広がっていく。不協和音を含みながら。その中にあるのは、何だろうか。
物語の相対性と絶対性である。
幾重にも広がっていく物語は、全体としてみればその一つひとつは「一つの物語」でしかない。他の物語ではない、物語。そのような差異でしか、存在を特定できない脆弱な物語。
一方で、その物語と共に生きる存在にとって、「一つの物語」は「ただ一つの人生」となる。どうであれ、私たちはそれを引き受けるしかない。
私たちは、思弁の中で物語を渡り歩くことができる。別様の可能性を思い描くことができる。しかし、どのような世界に飛躍しようとも、どこかの世界は引き受けなければならない。「これが私の人生(物語)だ」と覚悟を決めるしかない。
このどちらの視点もが正しくて、であるからこそ人間は(あるいは物語る存在は)苦悩し、葛藤し、ときに途方にくれる。物語の正しい在り方を見定められないまま彷徨い歩いてしまう。という描写もまた、物語であろう。
なんにせよ、直線的な物語ではない。おりにふれ「自分の居場所」を確認しながら読み進めていかなければならない。それをしてもなお、自分の立ち位置を見失うことがある。まるで、人生であるかのように。
突飛であると言えば突飛だろうし、前衛的だと言えるかもしれない。しかし、物語の情報的構造をこれほど見事に現した作品はなかなかないだろう。最初に挙げた『すべて名もなき未来』と合わせて読むと、よりいっそう楽しめると思う。