一風変わった読書法である。
一般的な読書法というと、「いかに本の中身を頭にインストールするか」が中心になるが、本書は主客が逆転している。
探求型読書では、自分の思考を立ち上げる契機として、本の存在を意味づけています。
本をきっかけとして、自分の思考を立ち上げる。そういう読書のやり方が本書では解説される。
ポイントは二つある。一つは、自分の思考をバージョンアップさせるのは、実は極めて難しいということだ。私は私の認知の中で情報を取得し、思考を走らせる。言い換えれば、私の「認知」は思考の土台のようなものであり、それが思考を制約もする。
たとえば、私が右か左で悩んでいたとしよう。その思考が私の認知平面である。その平面にいる間は、北か南かで悩むことはできない。そのような概念は、私の「外」にあるからだ。そして、その「外」を手にすることが思考のバージョンアップに相当する。
ここで活躍するのが本である。著者の認知平面によって表された本は、いやおうなしに私の認知平面を揺るがしてくれる。それが自分の思考を立ち上げる契機になる。
それだけではない。二つ目のポイントは、本が対話のきっかけになる点である。これは、本署内で「本の5つの効用」の一つとして紹介されている。
1. 思考のジャンプ台になる
2. 視点を底上げする
3. ”わたし”の隠れ蓑になる
4. 共に進む乗り物になる
5. 対話の媒介になる
読書という行為は(特に黙読は)自分ひとりに閉じた行為である。しかし、本によって他者との語りが生まれることは珍しくない。同じ本を読んだ人と感想を交わし合うのは、読書会のよくある風景だ。
そこで交わされるやりとりが、たとえば「成人における友情の意義」とか「人間の生にとっての恋愛とは」みたいなテーマだとしても、本を抜きにしてずばりそんな話題に至るのは難しいだろう。さすがに唐突すぎるし、共通の体験がなければ話はかみ合わない。本はそれを継いでくれるのだ。
また、自分が言いたいことを直接言うのではなく、同じ意見の本を提示することによって、議論する人の人格同士が直接ぶつかりあう事態も避けられる。生の意見ではなく、本についての感想というワンクッションを置いてやりとりできるわけだ。
そのように考えると、本は、ひとりで考えるためのツールではない。もともと、著者との対話を促すためのツールなのだから、それが他者に開かれていてもまったくおかしくはないのだろう。
ちなみに、第五章では、探究型読書を巡る三つの対話が収録されているが、それだけでも十分読みごたえのある内容だった。特に、「内発的な発見や学びって、自分で起こそうとすると本当に難しい」という指摘はなるほどと感じた。自律では限界があるのだ。だからこそ、この世界は面白いわけだが。
編集工学研究所 [クロスメディア・パブリッシング(インプレス) 2020]