最初に断っておくと、本書を読んで私が思弁的実在論について理解できたかというとNoである。ぜんぜんまったくわからなかったかというと、まあそれに限りなく近かったとは言えるだろう。なにせ、「思弁的実在論」とは結局何なのか──実在論と思弁的実在論との違いとは何か──すらわかっていない状況である。
もちろん感触みたいなものは掴まえられたし、いくつかのキーワードも手にした。より本格的に知りたいと望むならば、手を伸ばすべき書籍は見えている。導入としてはそれで十分だろう。
本書の第1部はその思弁的実在論をテーマにした対談に当てられている。全部で四編。
- 思弁的転回とポスト思考の哲学×小泉義之
- ポスト・ポスト構造主義のエステティクス×清水高志
- 思弁的実在論と新しい唯物論×岡嶋隆佑
- 権威(オーソリティ)の問題―思弁的実在論から出発して×アレクサンダー・ギャロウェイ
どれを読んでもさっぱりわからないのだが、わからないなりに楽しさがあった。小泉義之さんはまるで滝が降り注いでいるような雰囲気がしたし、清水高志さんはマグマが沸き立つような印象があった。岡嶋隆佑さんはすごく早口な気がする。話している中身はわからないのに、そういう感覚が伝わってくるのが文章の面白いところである。
アレクサンダー・ギャロウェイさんとはメールのやりとりのようで、他の対談と違いライブ感みたいなものはなかったが、その分じっくりとした言葉の積み重ねがあったように思う。
第2部は、かなり趣が変わる。テーマは「現代について」だ。
- 装置としての人文書―文学と哲学の生成変化論×いとうせいこう
- 中途半端に猛り狂う狂気について×阿部和重
- 「後ろ暗さ」のエコノミー―超管理社会とマゾヒズムをめぐって×墨谷渉×羽田圭介
- イケメノロジーのハードコア×柴田英里×星野太
- ポスト精神分析的人間へ―メンタルヘルス時代の“生活”×松本卓也
- 絶滅と共に哲学は可能か×大澤真幸×吉川浩満
読んだ中で一番よくわかったというか、実感として理解できることが多かったのがいとうせいこうさんとの対談である。たぶんそれは、私が『動きすぎてはいけない』を読了していて、この対談におけるいとうせいこうさんも同じような視点で語ってくれているからではないかと推測する。あるいは私が小説を書く人間だからで、その辺に理解できるポイントがいくつかあった、ということも考えられる。どちらにせよ、身近な感じのする対談だった。
逆に、ふぇ〜と感心したのが柴田英里さんと星野太さんを交えた「イケメノロジーのハードコア」だ。「イケメン」という題材で、ここまで切り込めるものなのか、という言論というか批評というか、何かそういったものの射程の広さが感じられた。こういうことが「あり」ならば──もちろん、ぜんぜんありなわけだ──、もっといろいろな分野で議論を広げていけるだろう。私も、知的生産ツールの変転を分析的に捉えてみたい気持ちになった。それはそれで面白そうな題材である。
というわけで、すべてに言及することは避けるが、「わからないなりに」面白い本である。なるほど、と一文一文に納得できる本ではないが(それはそれで首が疲れそうだ)、全体を通してアカデミズムとは少し違った「学問的視点」の面白さが伝わってくる。