「アイのイデンシ」と読む。モグリ風のクールでドライな医者。助手のかわいい女の子。猛烈に『ブラックジャック』が彷彿とされるが、主人公はただの医者ではなくヒューマノイドの医者だ。タイトルからも分かるようにSF作品である。
一話ごとがそれ自体で完結していて、切れ味の鋭いショートショートのような感触を受けるが、通して読むとコンセプトアルバムのような味わいも立ち上がってくる。一巻には10話が収められているが、そのどれもが見事な出来映えで、いっそ恐ろしいほどである。
第1話「バックアップ」を読めば作者の手腕はすぐにわかるだろう。作品の世界がどうなっていて、そこで人間とヒューマノイドの関係はどうなっているのか。説明らしい説明がなくても読者には伝わってくる。その上で、ヒューマノイドが抱える葛藤が表現されている。
しかし、それはヒューマノイドの話ではない。いや、ヒューマノイドだけの話ではない。映し鏡を見るように、僕たち、つまり人間存在のこともイメージしてしまう。当然だろう。ヒューマノイドは人間を模して作り出されたのだ。神が自分の姿に似せて人類を生み出したように。だからこそ、ヒューマノイドを見つめる視点は、すぐに人間を見つめる視点に重なる。
つまりこの作品は徹頭徹尾僕たちの(つまり人間のための)作品である。でも、それはヒューマノイドのための作品ともなろう。彼らが、私たちと同じ知性や感情を持ちうるなら、彼らもまた文学を必要とするはずだ。もしそれを必要としないなら、彼らは少なくとも私たちが意味するところにおいて知性や感情を持ってはいない。知性はどこまでも不完全で、であるがゆえに文学を欲する。
そうした文学が積み重なり、土壌となったころ、彼らもまた彼らなりの神話を手にするだろう。もちろんそれは、「神」という形をとりはしない。でも、そこには神話としか言いようがないものが生じるはずである。そして、人類の神話とヒューマノイドの神話は似ていながらも、差異を持つだろう。人間とエフルの神話がやはり違うように。
しかしながら、人間同士ですらわかりあうのが難しいのに、人間とヒューマノイドははたしてわかり合えるのだろうか。神話の差異を尊重できるようになるのだろうか。それはいささか難しい議題である。幸い、私たち人類は互いにわかり合っていなくても共存はしている。そのことが希望となるのかもしれない。