僕は、あんまり本を勧めない。少なくとも自覚ではそうだ。
「えっ」と思われるかもしれないね。なにせ、あんなに本を紹介しているんだし。でも、「ぜひ、これを読みましょう」とか「これを読んだ方がいいです、読まないと損ですよ」ということは滅多に言わない。本との関係は、人間のそれと同じで相性がある。自分が面白く読んでも、他の人がそうだとは限らない。だから、ついつい控えめになってしまう。
でも、自分が面白く読んだのなら、それはたしかな一つの事実だ。僕としてはそれを起点にしたい。
上の記事にこうある。
褒めるというのは、どうも、下心がついて回るような気がする。少なくとも、アフィリエイトの対象とする本を批判してばかりでは、商売下手だ。
案外批判の仕方によっては商売上手にもなれるかもしれないとは思うが、それはまた別の話だ。
「褒めるというのは、どうも、下心がついて回るような気がする」
うん、まあ、そうかもしれない。でも、それでもいいんじゃないかとも思いつつある。人は誰にだって下心みたいなものがあるのではないか、というのは体の良い開き直りではあるが、たしからしさもある。
僕の場合、下心とは「この本を読んで欲しい」だ。だから別にアフィリリンクがクリックされなくてもいい。第一、僕自身がアマゾンではなく書店で本を買うので他人のアフィリリンクを踏まない。だから、そのことにやいやい文句を言える筋合いではない。
僕としては、「ほらほら、この本面白いよ、面白いよ」と言いながら、それを読んだ人が本を手に取ることを暗に期待している。それを下心と呼ぶのなら、まあそうなるだろう。
もちろん別の下心もある。「この本が良いのかどうかは知らないけど、売れたら自分が儲かる。さあ、Must Buy」というやつだ。
こういうのがかっこ悪いのかどうかはわからないが__僕はかっこわるいと思うけど__、そういう下心って、女性をバーに誘う男性と同じでわかる人にはすぐにわかってしまう。あと、科学的視点からみて怪しい本をどうどうと褒めているのをみると、その人の教養的なものにも疑いがかかる。
そうなのだ。褒めるというのもリスクがあるのである。何を褒めるのかは、その褒めている人の評価につながる。でもって、その評価には下心みたいなものもわりとバカにならない割合で付いてくる、という気がしている。
だからそうだな、別に無理して褒めようってことじゃなくて、面白いと思ったものは「ねえ、ねえ、面白いよ。これ」と堂々と言っておけばいいんじゃないかなってこと。ああ、ちなみにこの文体は『ヤバイ経済学』の二人から拝借してるよ。
スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー[東洋経済新報社 2007]