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『はじめての批評 勇気を出して主張するための文章術』(川崎昌平)

価値とは見出されるものである。

対象に、先験的・固定的・絶対的に内在しているものではない。誰かが見出すものなのだ。だから、価値は多様である。価値観の分だけ、価値があるとも言える。

批評は、その価値の多様性を広げるための文章である、と著者は見る。本書において批評とは、「価値を伝える文章」であり、「誰かを動かす文章」である。単に、情報を伝達するだけでなく、相手を動かすこと。(物理学的に言えば)「仕事」をすること。それが批評的文章の役割だと位置づけられている。

その点から言って、「クソほど面白くなかった。☆一つ」みたいな文章は批評ではない。単なる感想だ。そこには価値の発見はどこにもないし、それによって人が動くこともない。どう考えても、その情報によって本を手に取る人はいないだろうし、その感想に共感する人はもともとそう思っていたのだから、「誰かを動かしたり」もしていない。「仕事」をしていないわけである。

逆に言えば、批評はその反対だ。その価値を感じたことがなかった人に価値を感じさせること。それが「仕事」をする文章である。

そのように批評という文章の存在を受け取ったとき、当然「どうすれば、そうした文章が書けるか」という疑問が沸き立ってくる。この疑問には二つの視点が含まれている。一つは、技術論・方法論的な視点。もう一つは、踏ん切り、あるいは勇気や姿勢に関する視点である。

批評の機能を考慮すれば、その文章は「いまだ誰も価値を発見していないものに価値を見出す」ことをしなければいけない。つまり、横並びの状態から、一歩前に出る必要があるのだ。日本人ならば、怖じ気づいてしまうようなシチュエーションである。ちょっと想像してみればいい。いろいろな人の口から「あれって、面白くないよね」という感想が飛び交っている作品について、「いや、あれ、面白いッスよ。この辺が」と言ってみる状況を。そのときに発生するであろう、さまざまな心理の葛藤を。

これはあまり簡単なことではない。勇気、あるいは「どうしても、これについては俺が言わなきゃならんのだ」というような使命感が必要だろう。何でも口にすれば良いというものではない。作品をじっくり観察し、分析し、比較し、検討した上で、「よし、これについては、これだけのことが言えるぞ」という確信に近い思いが必要だ。少なくとも、ぱぱっと(あるいは機関銃のように)口に出せるようなものではないだろう。

むろん、すべてにおいてそのような態度を完璧に貫け、というのは酷な話だろう。それでも、基本的な指針としてそのような態度を持っておくことは大切ではないだろうか。

本書の前半部分は、そのような批評の在り方や、文章を書く態度について語られている。後半は、タイトルにもある通り文章技術の話が中心となっていて、基本的な話がまとまっている。その分、批評的技法の話はあまり深掘りされていない。本書を読んでも、批評においていかなる分析を用いればよいのか、といったことまではわからないだろう。

その意味で、本書は批評という行為に向かうための、「心の準備を整える」一冊として位置づけられそうだ。

▼目次データ:

第一章 批評の意味
第二章 批評の準備
第三章 批評を書く
第四章 批評を練る
第五章 批評を貫く

はじめての批評 ──勇気を出して主張するための文章術
川崎昌平 [フィルムアート社 2016]

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