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ウェブ小説と書き手の在り方の多様性

『ウェブ小説の衝撃』については、以下の記事で一度書評を書いている。

R-style » 【書評】ウェブ小説の衝撃(飯田一史)

で、たまたま面白い記事を読んだのが、当エントリーを書くきっかけとなった。

ウェブ小説家はなにを望むのか? « マガジン航[kɔː]

勿論、これは実作者ではない外野の勝手な願いでしかない。しかし、こう考えてみて分からなくなるのは、実際のウェブ小説家が具体的になにを欲望しているのか、ということだ。

今回は、これについて考えてみたい。

まず最初に確認しておきたいのは、『ウェブ小説の衝撃』は基本的に「出版業界」とそこで生み出される「コンテンツ」に視点を注いでいる。かつての出版業界において文芸雑誌が担っていた役割をウェブ小説が代替するのではないか、つまりオルタナティブとしてのウェブ小説、というのが本書の枠組みの中心である。

結果的に、本書ではクリエーターの視点はあまり取り上げられていない。視点として出てくるのは、プラットフォーマーと読者が大半である。だからこそ、上の引用の疑問が出てくるわけだ。

とりあえず、少し遠回りしていこう。

上記の記事で、著者は次のように書いている。

ウェブ小説なんて一時の流行で終わるのでは? という疑問に答えるときに示される飯田の次のコンテンツ観に私はまったく共感しない。

ここで言及されている「飯田氏のコンテンツ観」とはどのようなものだろうか。一緒に引いてみよう。

「一時の流行で終わったら何が問題なのか。長く続いたり、残ったりするものがえらいなんて、誰が決めたのか」

修辞的疑問のようにも読める。というかその意図で書かれてはいるのだろう。が、この問いはもっとストレートに受け取られてもいい。

「長く続いたり、残ったりするものがえらいなんて、誰が決めたのか?」

それは習慣的な権威ではないのだろうか。そしてその権威が「作家」の在り方のバリエーションを狭めているのではないか。そう考えるのは、現代では健全な問いの立て方であるはずだ。

確認しておきたいのは、どんな媒体が長く続くのかは事前にはわからない、ということだ。今発売されている雑誌だって、どこかの時点で消えていた可能性はあった。というか、実際に同時期にスタートしながら、時代の中に消えていった雑誌はあまたあるはずだ。それを事前に見極めることができただろうか。難しいと思う。

もし、今そうして生き延びている雑誌にこそ価値があり、それ以外は価値がないというならば、それはいかにも硬直的な考え方のように聞こえる。なにせそこに文章を載せられる人は非常に限られている上に偏っているのだ。それはたしかにフィルターとして機能はしてきた。でも、それは現代のクリエイティビティーを受け止められているのだろうか。

そう考えてみると、ウェブ小説という存在は、そうした既存の媒体に対するアンチテーゼとして生まれたのだと見えてくる。

地位や名誉は知らない。とりあえず自分が書いた「かっちょいいもの」を誰かに読んで欲しいんだ、という気持ちだ。まだウェブ小説が具体的な成果を持たない時代に、それを投稿していた人間には、そんな気持ちがあったのだと推測する。そこで人気を集めれば書籍化されるだなんて、誰も担保していなかったのだから。

「ウェブ小説」的なプラットフォームは、長く続くものもあればどこかで終わってしまうものもあるだろう。それがどこなのかは事前にはわからない。が、だったら書かない方がいいなんて、誰にも言えないはずである。

書き手が、自分が書いた作品を誰かに読んで欲しいと思い、そして実際に読まれて何かしら読者の心に影響を与える。基本的にはただそれだけなはずである。誰かが評価する「えらさ」なんて関係はない。そして、文芸活動のプリミティブな欲求はただそこにあるのではないか。ウェブ小説はその欲求を受け止めてきたのではないか。

もちろん「ウェブ小説」が出版業界に取り込まれ、そこからデビューする人は今後増えてくるだろう。この流れはまず止まりそうがない。それはつまりウェブ小説が出版業界の構造に絡め取られるということでもある。でも、そんな話とは無関係にウェブに小説を投稿する人もいる。プラットフォームを使わず、ブログでそれをする人もいる。

そこにあるのは、多様性である。あるいは、複数の手段である。私たちはまずそこに祝福を送るべきだろう。ああ、すばらしき世界よ、と。


上に引いた記事で著者は次のように書いている。

それは、プロデューサーに従っていれば「文学者」になれた(という幻想が維持されていた)前時代とは次元を異にする、ウェブ時代ならではの自主的な選択を迫るに違いない。

まさにその通りだろう。「作家」に至る道すら複数ある上、「作品」とどう付き合っていくかの選択も複数ある。プロの作家ではなくても、作品を生み続けている人がいる。そこから(さして大きくはないにせよ)収入を得られる可能性もある。

どんなプラットフォームに、どんな作品を投下するのか、という戦略だけではない。そもそも自分はどう生きるのか、という選択すら今のクリエーターの前にはたくさん広がっている。

その戦略を考える上でも、『ウェブ小説の衝撃』は参考になるだろう。そこを目指すもよし、あえてそこを避けるのも良しだ。ここには絶対的な正解など存在しない。小説の書き方と同じである。

ウェブ小説の衝撃: ネット発ヒットコンテンツのしくみ (単行本)
飯田 一史[筑摩書房 2016]

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