ポピュリズムとは何だろうか。
民衆派、大衆主義者、人民主義者、大衆迎合主義者とさまざまな訳が当てられるが、基本的にそれはエリート主義に対峙する形で持ち出される。お高くとまったエリートではなく、一般大衆の声を聞き入れる政治。そのような視点をとると、まさしくそれこそが民主主義(デモクラシー)の根源ではないかという気はしてくる。しかし、一方ではポピュリズムは民主主義に敵対するものであるとも捉えられる。この齟齬はどこからやってくるのだろうか。
本書は、南北アメリカやヨーロッパの事例を分析しながら、ポピュリズムがいかにして起こり、どのようにして社会に浸透していったのかを解き明かしていく。その中で、ポピュリズムが持つ一定の功績も明示される。行きすぎてしまったエリート主義を牽制する主体としてのポピュリズムだ。ポピュリストが一定の存在感を示し、かつそれが一定上にはならないとき、政治に適度な綱引きが発生する。右や左における施策の対立がほとんど消失する中で、そのような綱引きの存在は、議論を巻き起こし、適切な運営に貢献するだろう。
しかし、イギリスのEU離脱や、極端な反イスラム主義、そして他者を罵倒し、中傷してなお大統領選挙を勝ち上がったトランプ氏の存在は、不吉な暗雲を感じさせる。デモクラシーの基盤を成す議論が軽視され、「声」さえ集めればあらゆる行為が正当化される社会は、何が起こるのかはまったく予想がつかない。彼らがいつ、「綱引きなんて、知らね」と言い出すかはわからないのだ。
著者は、ラテンアメリカにおける「社会経済的な改革」を中核に据えたポピュリズムと、現代西欧政治における多文化主義やエリート優位に抗する__アンチ・カルチャー__ポピュリズムとを対比した上で、次のように述べる。
(前略)現代西欧のポピュリズムでは、支配的価値観への文化的な対抗が重視されるため、現実に群衆を集めるよりも、メディアやインターネットを通じ、内心で不満を鬱積させている「サイレント・マジョリティ」に訴え、その共感を呼ぶことで支持を集めようとする。
言い換えれば、そのポピュリズムの「勢力」は、群衆という形では可視化されないのだ。仮に見えていたとしても、それは氷山の一角でしかない。
となると、非常にやっかいなことになる。なにせサイレント・マジョリティは、サイレントである。それにその姿は見えない。いったい見えない相手、話さない相手とどのように議論すればいいのだろうか。市民のおちついた議論形成は、スタートの時点から疎外されている。
ここで私たちは、民主主義とは何か、民主主義における「人民の意志」とは何かを改めて問う必要があるだろう。それが単なる多数決の結果でないことを願うばかりだ。
第1章 ポピュリズムとは何か
第2章 解放の論理―南北メリカにおける誕生と発展
第3章 抑圧の論理―ヨーロッパ極右政党の変貌
第4章 リベラルゆえの「反イスラム」―環境・福祉先進国の葛藤
第5章 国民投票のパラドクス―スイスは「理想の国」か
第6章 イギリスのEU離脱―「置き去りにされた」人々の逆転劇
第7章 グローバル化するポピュリズム