本書によって、喫茶アメリカンの歴史が生まれた。そう言っていいだろう。
なにせ歴史というのは、誰かが書くことによって初めて生まれるからだ。歴史は書かれて、初めて歴史になる。そうでないものは、単なる記憶の集合体にすぎない。
本書は、ブログ「言いたいことやまやまです」に書かれた喫茶アメリカンに関する記事を加筆修正して作られている。記事の総数は50にもなる。
まず、この異常事態に気づかれたい。一つの喫茶店について、あるブログが50もの記事を書く。そんなことがあるだろうか。新しくオープンしたお店に訪れて、お勧めメニューを紹介して終わり。次の日はまた別のお店へ。そうして、私たちのネオフィリアマインドを満たしていく。それが昨今のブログのあり方ではないだろうか。
著者はそんなにあっさりしてない。もっとねっとり、べっとりと(褒め言葉である)対象に迫る。2014年から2019年まで、訪れる頻度に違いはあれど、一つの喫茶店に通い続け、観察を続けるその視線は、まるで研究者のそれである。
そう、副題にもこうある。「5年間の主観たっぷり研究記録」と。
これは広い意味での研究活動なのだ。それが学術的に意味・意義があるのかどうかは知らない。誰かの役に立つのかもわからない。しかし、これは研究である。ブログによって生まれた、個人の研究活動の集大成が、本書なのである。
ブログは大人の自由研究であると、堀正岳氏は言った。
アカデミズムに属さないで、個人で研究活動をしている人も少なからずいる。
研究は自由だ。対象に愛を持ち、継続的に観察する目を持つならば、何をテーマにしたっていい。なんなら、「研究しよう」とあらかじめ思わなくても、結果として、それが研究として成立してしまうこともある。後付けの研究。そういうことが起こりうる、というよりも起こった後に、自分で気がつき、それを広く知ってもらえる場に出せる、というのが現代なのだ。
本書は、喫茶アメリカンの歴史を示している。本書がなければ、アメリカンの過去メニューはなかったことになるし、タバコを吸えていた時間がかつてあったこともわからない。だからこそ、本書が時系列に綴られていることに意味がある。お店の変化が辿れるからだ。それと共に、著者がどう変化してきたのかも伝わってくる。二つの歴史。
本書は、ブログから生まれたコンテンツとして非常に地に足がついた感覚がある。いやむしろ、ブログでなかったらこうしたコンテンツは生まれてこなかっただろう。その意味で、とてもストレートなブログ本である。
もちろん、これから一生喫茶アメリカンに行くつもりがない人でも、本書は楽しめる。エッセイとしても読めるし(むしろそれが本筋だろう)、マスターのこともきっと好きになる。温かい気持ちになる。そういう本である。
本書に何度も登場する「損をしても人につくせ・楽しいが人を呼ぶ・ムダを重ねて信頼を得よ」という喫茶アメリカンの標語は、きっと著書自身のブログの在り方とも重なっているに違いない。
やまま イラスト:松永みなみ 編集;Tak. [やまま書房 2020]