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『ウェブに夢見るバカ』(ニコラス・G・カー)

いちいち突っ込むのも野暮かもしれないが、なぜこんなタイトルになっているのだろうか。

原題は『Utopia is Creepy』であり、本書にも収められている著者によるブログ記事__本書では「薄気味悪いユートピア」と訳されている__が元である。さすがにこの二つは雰囲気が違いすぎるのではないだろうか。

もちろん、同じ著者の『ネット・バカ』『オートメーション・バカ』を受けてのタイトル付けであることは理解するが、だったら今後カーが書く本はすべてバカをつけて訳すのだろうか。それはそれで面白いかもしれないが、そろそろ食傷気味であることをここで宣言しておこう。これで打ち止めにしてもらえるとありがたい。

さて、本書はカーのブログ『ROUGH TYPE』(すばらしいタイトルだ)からの記事セレクションである。時系列に沿って、79の記事がピックアップされている。テーマは「ウェブはすごいすごいって騒がれてるけど、それほんとかよ」というもの。風刺的であり、批判的な視点の記事が多い。茶目っ気もあるのかもしれないが、FacebookのCEOはとことんこけにされ、バカにされている。本書の邦題である「ウェブに夢見るバカ」は彼のことなのだろうか。あるいは、そのプラットフォームで無邪気に投稿を続け、いいね!ボタンを押しまくる私たちなのだろうか。もしかしたら両方なのかもしれない。

そのほか、カーのツイートからの「50のテーゼ」と、その他の場所に書かれたエッセイやレビューなどが16編収録されている。どれも面白く、示唆深い。ユートピア信仰だけを片手に驀進することの危うさが存分に受け取れる。でも、だからどうしていいのかはわからない。今すぐスマートフォンを捨て去ればいい、というものでないことは明らかだろう。私ならすぐに窒息してしまう。

片方では、テクノロジーがもたらす恩恵を十分に浴びながらも、もう片方では、私たちがトレードオフとして失ってはいけないものについて考える。それは「人間とは何か?」「人生とって大切なものは何か?」を時間をかけて問うことであろう。そして、そのような思索の在り方こそが、ウェブ的なものが私たちから剥離しようとしているものでもある。なにせ、広告を見せつけ、物を買わせるためにそれほど邪魔なものはないからだ。

私たちは、メディアを使って媒介する。言い換えれば、私たちはメディアによって媒介される。そして、現代では媒介されすぎた人__つながりすぎ、共感しすぎ、監視しすぎ・されすぎな人__がたくさん登場している。そこまでメディアに媒介されていた人が多かった時代はかつて一度もなかっただろう。マクルーハンは、ウェブ的なものの浸透により、私たちは書き言葉によって限定されていた視点から解放され、いずれは情緒的交流を回復させると予見したらしいが、結局その情緒的交流は他者への想像力を欠いたものにすぎず、群衆的行動を不可視に増加させただけなのかもしれない、という恐怖が巻き起こりつつある。

人間の感情は多層的であり矛盾を含むものなのだが、デジタルツールが促進する交流は、その一部分だけを取り上げ、それを絶対化した上で増幅させる働きを持つ。そのように媒介された人々が社会の中で増加すれば、想像上のフィルターバブルが物理的な壁となって顕現するようなことも起こりえるだろう。それはどう考えても人類文明の後退である。そして、それが単なる仮想的なリスクではないことは、世界情勢を見ても明らかだ。

道具は我々の一部を為す。知的道具ならば、世界認識にまで作用する。そのような知的技術との付き合い方を考える間もなく、私たちはこの10年を突っ走ってきてしまったのかもしれない。

▼目次データ:

序章
・シリコンヴァレーに生きる
第一部
・ベスト・オブ・ラフ・タイプ 倫理のないウェブ 2.0
・マイスペースの空虚さ
・セレンディピティを生み出す機械
・カリフォルニアの王者たち
・ウィキペディアンの分裂
・ブログ中につきご勘弁
・代謝するもの
・「セカンドライフ」の抱える大問題
・あなたを見て!
・デジタル式小作制
・スティーヴのデヴァイス
・ツイッター・ドット・ダッシュ
・コードのなかのゴースト
・アリスのアバターに訊くしかない
・ロング・プレイヤー
・ネットは忘れるべき?
・創造のための手段
・ヴァンパイア
・灌木の陰でゴミを食らう
・ソーシャル的賄賂
・チューリングテストを出し抜いたセックスボット
・見通しのよい世界を検証する
・「ギリガン君のSOS」のウェブ
・コンプリート・コントロール
・デジタル化情報はすべからく集中すべし
・復活
・ロック・バイ・ナンバー
・ヴァーチャル・チャイルドを育てる
・iPad ラッダイト
・「いま」性
・チャーリーがぼくの「認識の余剰」を噛んだ!
・シェアを資本主義にとって安全なものにする
・引喩の本質はグーグルではない
・局所的情報過多と環境的情報過多
・「グランド・セフト」的注意力
・精神の重力としての記憶
・媒介はマクルーハンである
・フェイスブックのビジネスモデル
・薄気味悪いユートピア
・背骨のないもの
・未来のゴシック
・イノヴェーションのヒエラルキー
・取り込め。編集しろ。焼け。読め。
・生き急ぎ、若く死に、美しいホログラムを残す
・オンライン、オフライン、そのあいだのライン
・グーグルグラスとクロードグラス
・校舎を焼き尽くす
・知的マシンの倦怠
・映った姿
・最後に笑うはグーテンベルク?
・探し求める者たち
・汚れなきAIの永遠の陽光
・マックス・レヴチンのわたしたちのためのプラン
・エフゲニーのちょっとした問題
・二点間の最短の会話
・家のように居心地がいい場所
・チャコール、シェール、コットン、タンジェリン、スカイ
・ブッダとつましく暮らす
・職場における自己定量化
・わたしのコンピュータ、わたしのドッペルツイッター
・アンダーウェアラブル
・バスに乗って
・終わりのないはしごという神話
・わたしを紡ぐ織機
・下界と天界のテクノロジー
・父親のアウトソーシング
・計測を測る
・ホットなスマートフォン
・デスパレートなスクラップブックたち
・制御不能
・われらのアルゴリズム、われわれ自身
・かげりゆく牧歌的生活
・知っているという思い込み
・風をファックする
・圧縮された時間
・音楽は万能の潤滑油
・愛の統一理論を目指して
・3〉 と心
・退屈した者たちの王国では、片手で操作する無法者が王である
第二部
・ツイートによる 50 のテーゼ
第三部
・エッセイと批評 炎とフィラメント
・グーグルでバカになる?
・静寂を求めて叫ぶ
・読者の夢
・生命、自由及びプライバシーの追求
・ハマる
・母なるグーグル
・ユートピアの図書館
・マウンテンヴューの若者たち
・蔡倫の子どもたち
・過去形のポップス
・湿地の草をなぎ倒す愛
・スナップチャット候補者
・ロボットがこれからも人間を必要とする理由
・ロスト・イン・ザ・クラウド
・ダイダロスの使命

ウェブに夢見るバカ ―ネットで頭がいっぱいの人のための96章―
ニコラス・G・カー [青土社 2016]

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