タイトルもすごいが、中身も凄い。
星新一さんが翻訳を担当しておられるが、彼のブラックなショートショートが好みならばこの本も間違いなくストライクだろう。目次は以下の通り。
みどりの星へ
ぶっそうなやつら
おそるべき坊や
電獣ヴァヴェリ
ノック
ユーディの原理
シリウス・ゼロ
町を求む
帽子の手品
不死鳥への手紙
沈黙と叫び
さあ、気ちがいになりなさい
まず「みどりの星」でガツンとやられる。まるで、クリストファー・ノーランの映画を見ているようだ。ここでは「狂気」が端的に描かれているのだが、それだけではない。それはまさに私たちの脳の働きであることが、脳神経学の本を読んでいるとよくわかる(『妻と妻を帽子とまちがえた男』、『脳のなかの幽霊』)。
他の作品も、何らかの形で「狂気」を扱っている。しかし、それは狂人を描写して終わる、というほど単純な話にはなっていない。そこで描かれるのは、日常に潜む狂気であり、狂気と正気の境目をえぐり取るような視線である。「電獣ヴァヴェリ」や「不死鳥への手紙」は、いかにもSFなのだが、ディストピア物でもないし、かといって勧善懲悪ヒーローものでもない。不思議な感覚の作品だ。
圧巻は、表題作でもある「さあ、気ちがいになりなさい」だろう。よくありそうな物語から始まり、著者はそれをぐにゃりとひねる。しかも、トリッキーなだけではない。そこで提示される世界は、まさに「狂気とは一体なんだろうか」という問いを突きつける。こう言ってよければ、私たちは少なからず狂気の中に生きているのだ。ただ、一般的に私たちはそれを「信念」などいう聞こえの良い言葉に言い換えているに過ぎない。
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