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『このセルフパブリッシングがすごい! 2018年版』

2016年版に続く第二弾。前回と違い、自由投票が行われている。

で、表紙画像をみるとトップを飾る本はすぐにわかってしまうのでちょこっと書いておくと、以下の本だ。

カドルステイト物語 第一部『盗賊の掟』
守下尚暉 [パブフル 2016]

いかにもガチなファンタジーの香りがする表紙だ。シリーズ展開されており、どの巻も同じようにどっしりとした雰囲気が漂っている。私は未読だったので、この機会に買ってみたばかりだが、Amazonのレビューも高評価なので、しっかりとした作品なのであろう。

さて、ここで「セルパブ」である。

おそらく、過渡期に必要な言葉というのは存在するだろう。問題は、「セルパブ」という言葉がそうなのかどうかだ。

たとえば、昔は電子メールなんて言い方をしたが、今はメールと言えば電子メールを指す。むしろ「紙の手紙」みたいな言い方をしなければいけないことの方が多いかもしれない。それと同じで、今後力のあるセルパブ作品が次々と登場することで、「セルフパブリッシング」が「パブリッシング」に吸収されていく(さすがに取って代わるようなことはないだろう)、なんてことは起こりえるのだろうか。

むろん、それは一つのシナリオである。しかし、逆向きのシナリオも考えられる。

個人による出版が増え、力のある作品が増加すると共に、プロの作家が(つまりは商業作家が)セルフパブリッシングに意欲的に参加するようになると、むしろ「セルフパブリッシング」という言葉が、「パブリッシング」と並ぶ、ないしは対峙する言葉に変質することは起こりえないだろうか。

黎明期の「セルフパブリッシング」は、尖り方やニッチさの担保と共に、稚拙さの免罪符としても機能していた側面はあるかもしれない。しかし、商業作家が多数参加し、「これはセルフパブリッシングなんですよ」と発言するようになれば、今とは違った印象の「セルパブ」が形成されることは十分ありうる。

そのときの「セルパブ」は、おそらくマス受けを強く意識したパブリッシングとは違う、という点が強調されるだろう。そして、私はそれでよいと思う。

個人的には全然バラバラな方向性の行為を「パブリッシング」という言葉でまとめてしまうよりも、指向性の違いに応じてカテゴリを設定した方が(書く方よりも)読む方が助かるのではないかと考える。むろん、そのとき使われる言葉は「セルフパブリッシング」ではないかもしれない。もっと別の言葉が出てくる可能性はありうる。

ただ、どういう言葉が使われるにせよ、パブリッシングにある多様性や差異─━プロかアマチュアかといった単純な線引きではない─━みたいなものは、きちんと眼差しを向けておきたいと思う。そして、もしかしたらその眼差しは、既存のパブリッシングの枠組みすら解体してしまうかもしれない。

このセルフパブリッシングがすごい! 2018年版
[『このセルフパブリッシングがすごい!』編集部 2018]

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