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『心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで』(キャスリン・マコーリフ)

生物はさまざまな生存戦略を持つ。外敵から身を守るために、自分の子孫を残すために、ときに奇妙な、ときに狡猾な手段を用いる。その中で、環境に適応できたものだけが、実際に種を残すことができる。すぐれた戦略、機能する戦略を持つ生物だけが、生き延びられる。言い換えれば、今生き延びている生物たちは、何かしら機能する戦略を持っているということだ。

寄生生物も同様だろう。

本書は、いかにして寄生生物たちが生き延びているのか、という生存戦略を見通す図を提供してくれているのだが、その影響は、私たちが普通想像するよりも、相当に強い。

たとえば、あなたが、ネズミの体内と、ネコの体内で成長する寄生生物だったとしよう。今はネズミの中にいて、そろそろ広いネコの体内に移動したいと思っている。さて、どうするか。

一般的にはそのネズミがネコに食べられるのを待つという戦略だろう。時間はかかるかもしれないが、いずれかは達成されるはずだ。本書が垣間見せる寄生生物は、そんなにおとなしく待っていたりはしない。もっと大胆なまでに狡猾である。その寄生生物は、恐怖心・警戒心を弱めるようにネズミの「心」に働きかけるというのだ。結果、その楽天的になったネズミは、警戒心も抱かずにうろちょろし、やがて腹を空かせたネコに見つかってしまう。寄生生物は、見事に自らの思惑を達成する。

まるで寄生生物がネズミを操っているかのようではないか。本書の前半は、このように寄生生物が、自らの生存のために宿主の行動をコントロールする話がいくつも紹介されている。正直、浮かんでくるシーンは、ホラー映画だ。小さな小さなハリガネムシが、自らの思い通りに宿主を操る。きっとその口元には残忍が笑みが……、というのはあくまで妄想であって、寄生生物は単に生存戦略を追求しているに過ぎない。だから必要とあらば、宿主と仲良くするものも多い。

第五章からは、そのような寄生生物と人間の関係性が語られるのだが、やはりどうしてもネコの前に自ら躍り出るネズミのことが頭から離れない。話してそのネズミには生命保険が下りるのだろうか。つまり、自由意志と寄生生物の関係性はどうなっているのだろうか。本書のホラー映画はそこで終わり、もっと興味深い問題へと視点を移す。

一番面白いのは、進化論的な視点から人間の嫌悪のシステムを眺めてみることである。私たちは、自らの免疫系にとって異物となる微生物との接触を嫌う。少なくとも、そのような傾向を持っている人間の方が、そうでない人間よりも種の保存がしやすかっただろう。そして、別の場所に住んでいる人間・見慣れない人間は、普段接している微生物が異なる可能性が高い。つまり、私たちが自分たちと異なる人種に嫌悪感を抱いてしまうというのは、進化論的なバックボールがあると考えられる。

これは大変興味深い意見である。なぜならば、私たちがそのような微生物的恐怖から解放されたとき、私たちが持つ人種的偏見も消え去っていく可能性があるからだ。もちろん、現段階ではそれは大風呂敷に過ぎないだろう。しかし、一つの希望を抱けることもまた確かである。

▼目次データ

はじめに: マインドコントロールの達人
第1章: 寄生生物が注目されるまで
第2章: 宿主の習慣や外見を変える
第3章: ゾンビ化して協力させる
第4章: ネコとの危険な情事
第5章: 人の心や認知能力を操る
第6章: 腸内細菌と脳のつながり
第7章: 空腹感と体重をコントロールする
第8章: 治癒をもたらす本能
第9章: 嫌悪と進化
第10章: 偏見と行動免疫システム
第11章: 道徳や宗教・政治への影響
第12章: 文化・社会の違いを生み出す

心を操る寄生生物 : 感情から文化・社会まで
キャスリン・マコーリフ 翻訳:西田美緒子 [インターシフト 2017]

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