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アイデアの作り方

今回のテーマは「アイデアの作り方」です。

実際的なノウハウではなく、いかにしてその「作り方」を説明するのかを複数の本を経ながら紹介していきます。

アイデアの工程

一冊目に取り上げるのは、ジェームズ・W・ヤングの『アイデアのつくり方』。名著と言って差し支えない本です、100ページほどの薄い本ですが、タイトル通り「アイデアの作り方」に関するエッセンスが詰まっています。こういう本を読むと、最近のビジネス書がいかに……という話はやめておきましょう。

ヤングは、アイデア作成の基礎となる一般的原理について、次の二つのポイントを挙げています。

一つが、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」ということ。つまり、まったく何も無いところから新しい何かを生成しているわけではない、と著者は主張しているわけです。

本書の原著は1975年発売ですが、そこから現代に至るまで同じような主張がさまざまな書籍に(形を変えて)登場します。それは、この主張が持つ普遍性を示す材料とも言えるでしょう。

もう一つのポイントは、「既存の要素を新しい一つの組み合わせに導く才能は、物事の関連性をみつけ出す才能に依存するところが大きい」です。つまり、物事の関連性をみつけ出す力が高まれば、アイデアを生み出せる力も高まることになります。

二つを合わせてみると、一握りの天才がどこからともなく素晴らしい考えを引っ張り出しているのではなく、既存の素材を使い、それらをいろいろ組み替えられる人がアイデアを生み出していることになります。

 先にもいったように私がここで主張したい点は、アイデアの作成に当って私たちの心は例えばフォードの車が製造される方法と全く同じ一定の明確な方法に従うものだということである。

ここで著者はアイデアの作成とフォード社の製造を並べています。

  • アイデアは一定の(かつ同種の)工程を経て生み出される
  • アイデアを作成するための技術が存在しうる

この二つを表現するためのメタファーです。

詳しい話は本書に譲るとして、著者はその工程を5つに分けています。

その1:資料を収集する(特殊資料と一般資料)
その2:資料を咀嚼する(さまざまな組み合わせについて検討する)
その3:一度寝かせる(別の物事に心のフォーカスを移動させる)
その4:アイデアと遭遇する(突然現れるアイデア:ユーリカ!)
その5:アイデアを具体化する(補強・調整・文章化・エトセトラ)

私たちが「アイデアを思いつく」というと、「その4」の工程だけに注目しがちですが、それ以前のプロセスがあってこその思いつきです。1〜3を何もしないで、「果報は寝て待て」的なスタンスを続けていても、閃きはきっと訪れません。

ただし、日常的に生活していても(好奇心を一定以上お持ちの方なら)、「その1」ぐらいはやっているものです。「その2」も暇なときに考えごとをしてたりしているかもしれません。「その3」は待ち時間なので、意識する必要はありません。

すると、突然「その4」がひょっこり顔を出すこともあり得ます。しかし、その裏では3つのプロセスが進んでいた、と考えておくのが無難でしょう。

お酒造り

以上のような説明で、おおよそは事足りているような気もしますが、若干抽象的すぎるかもしれません。

外山滋比古氏の『思考の整理学』では、お酒のメタファーを使いながらこのプロセスを説明しています。

ビールを作るためには、麦だけではなく醗酵素も必要です。

 アルコールに変化させるきっかけになるものを加えてやる必要がある。これは素材の麦と同類のものではいけない。異質なところからもってくるのである。

これがヤングの説明における「特殊資料」と「一般資料」にあたるでしょう。

たとえば、ショッピングモールのフードコートにまったく新しいお店を出そうと計画していたとします。そのとき、既存の飲食業のことだけを考えていても、アイデアは浮かんできません。そうではなく、たとえばファッション業界や人気のアニメについて考えるのです。それがアイデアにおける醗酵素として機能します。新しい組み合わせを生み出すためには、異質なものを持ってくる必要があるのです。

このようにアルコールのメタファーは、アイデア作成において有効に機能します。さらに、「アイデアを寝かせる」という第三段階の感覚も、樽の中に入っているウィスキーをイメージできれば、掴まえやすいでしょう。第四段階は、美味しいお酒の完成であり、第五段階はその味を整えたりパッケージングしたりする作業と考えれば、フィットします。

非常にうまいメタファーではないでしょうか。

さらに、お酒造りから「カクテル」というメタファーも飛び出ます。

多くの研究は、他の人の研究結果を踏まえて行われるものですが、ただ他の人の研究を引用しただけのものは、適当に複数のお酒をつっこんだ「ちゃんぽん」でしかない。ある種の目的(味の完成形)を求めて、お酒を材料にしてお酒を造るカクテルとは別のものだ、というお話です。

アイデア=お酒造り、という例えは、こうした広がりを持っています。(大人であれば)私たちにとって身近な存在ですから、イメージもしやすいでしょう。

しかし、それとは違ったメタファーもあります。

地底湖

木村泉氏の『ワープロ作文技術』に登場する「地底湖」がそれです。これも面白い例えです。

まず最初に木村氏は、文章を書くための材料の出所を「内」と「外」に分けます。「内」は自分の頭、「外」は出版物や人の話などの外部の情報源です。

「外」も大切だが、「内」はそれ以上に大切だ、と木村氏は説きます。

 文章が書いた当人のものであるためには、たとえ「外」からの材料でも一度「内」を通すことが必要である。でないと盗作になる。盗作とは、「内」をきちんと通っていない文章を自分のものとして発表することにほかならない。

私が今書いている文章も、基本的には「外」の材料を使っています。しかし、要素をコピペしているだけではなく、「メタファーの比較」という私自身の視点で、それらの材料を並べています。「ちゃんぽん」ではなく「カクテル」になっている、と信じたいところですが、その判断はお読みくださった方に委ねるとして、続けましょう。

木村氏はこの「内」を、地底湖に例えます。

 アイディアとは、その地底湖にたまったおいしい水である。自分の文章を書こうと思ったら、それを汲み出さなければならない。または、アイディアとは地底湖に住むお魚だ、といってもいい。お魚にたとえるなら、それをどう釣り上げるかが問題である。

アイディアは「おいしい水である」と、「お魚だ」という二つの例えが出てきました。この二つは同じ種類のものではありません。お酒の例えに比べるといささか複雑になっています。しかし、この例えも優秀です。

 困ったことにこの地底湖、中が見えない。汲み上げるには細いパイプから汲み上げるしかない。釣り上げるには、小さな穴からそっと釣り糸を垂れ、お魚がかかるのを待たなければならない。じわじわと、だましだましやらなければ駄目なのだ。

単なる湖ではなく、地底湖としてあるのがこの例えのポイントです。中がどうなっているのかを、私たちは知ることはできないのです。それは、意識から見れば、無意識が何をやっているのかが意識できない(当たり前ですが)ことを示しています。

お酒のたとえであれば、12ヶ月間寝かせば、上等のウィスキーができる、といったように工程の時間がコントロール可能であるような印象を与えます。しかし、実際それは釣りのようなもので、ヒットするまで意識は待ち続けるしかありません。できることと言えば、うまく竿を動かすことぐらいで、それは期待値を上げる効果しかありません。

さらに、下から上に持ってくる(無意識から意識に立ち上げる)数に限界があることも、この例えでは示しています。実際これはその通りで、私たちの意識は多すぎる概念を同時に扱うことができません。細いパイプや釣り竿のたとえはジャストフィットします。

 または、お魚をあんまり太らせてしまったら湖面の氷にあけた小さな穴を通らなくなってしまう、といってもよい。無理に通せば魚体が傷む。

これも非常に体感的な比喩です。とてもよくわかります。だから、「小さいアウトプットを何度も重ねていくのがよい」と言われれば、納得できるでしょう。

また、私たちのインスピレーションが瞬間的なものであることも、このたとえはうまく掴まえられます。お酒の場合は、熟成のタイミングが一瞬ということはありません。もちろん、時間が経てば味は劣化しますが、電撃の如くというわけではないでしょう。

しかし、釣り竿に引っかかった魚ならどうでしょうか。うまく釣り上げられず、逃げられてしまえば、再会を期待するのは難しいでしょう。アイデアとは、まさにそういうものです。

どちらの比喩が正しいか、という話ではありません。そもそも、例えというものはその性質上限界を持っているものです。はなから完璧ではないのです。

お酒の比喩でうまく説明できる部分もあれば、地底湖と魚でしっくりくる部分もあります。あるいは、畑と作物の比喩なんかも良さそうですね。

物事を完璧に理解するための道のりは険しいものですが、それを説明する複数の例えに触れる、というのは個人的になかなか良いルートだと感じます。きっと、立体的な理解が得られることでしょう。

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