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『感情化する社会』(大塚英志)

著者は、日本の現代社会に感情化の流れを見てとる。では、感情化とはなんだろうか。それは「感情」なるものが、私たちの価値判断の最上位に位置し、「感情」による「共感」が社会システムとして機能する事態を指す。

もちろん、私たちアニマルスピリッツを持つ人間は、古来から感情的に行動してきた。理性や理知は、日常において重要な役割を有していた時代などほとんどないだろう。しかし、ジャーナリズムや文学が「中立的な観察者」として外部化され、私たちのアニマルスピリットではない部分が機能するように制度かされ、社会システムに一定の秩序を与えてきた。現代は、それが機能しなくなっている、というのが著者がみる「感情化する社会」であり、それを冒頭の二章を使って説いている。

が、本書の白眉はむしろ第三章から始まる第二部だろう。社会に生きる人々が「感情化」するとき、文学はどのような変質を遂げるのか。巨大なプラットフォームの中で生まれる物語は、あるいはAIやBotが跋扈する世界で語られる物語は、これまでの物語と比べてどのように変わっていくのか。その変化は見えないが、何も変わらないということだけはない、ということだけは言えるだろう。

ただ一つ、前提的な疑問として、なぜ社会が感情化に向かっているのかについては改めて問わなければならないだろう。それをメディアの劣化や、国民がバカになった、みたいな切り口で語ることは虚しい。もう少し、広い視野を持って考えたいものだ。一つ、アイデアとしてあるのは、この感情化は、より大きな現象の一部なのではないか、という仮説だ。私はそれを「刹那化」(瞬間化)と捉えている。私たちの時間感覚の変移が、私たちの感情的行動にも影響をもたらしている。そのような予感がある。

たとえば、行動経済学の知見によれば、私たちのセルフコントロールは認知資源に影響を受ける。あることを我慢していると別のことを我慢するのは難しくなる。あるいは、難しい作業をしているときも同様だ。私たちは日々圧倒的な量の情報に取り囲まれ、しかもそれらは常に感情を刺激するようなメッセージと共に送られてくる。そのような状況では、人はついつい感情的に反応してしまう。ネットだけの話ではない。行きすぎたコマーシャリズムは、私たちの精神に常に負荷をかけてくるのだ。

他にも、私たちを取り囲むメディア(とそれを使う産業)の変化という視点で捉えれば、私たちが感情化してしまっている原因が見えてくるかもしれない。それに対抗する手段が見つかるのかはわからないが。

第一部 感情化する社会
・第一章 感情天皇制論
・第二章 物語労働論 web上の「新しい労働問題」をめぐって
第二部 感情化する文学
・第三章 スクールカースト文学論
・第四章 LINEは文学を変えたか
・第五章 文学の口承化と見えない言文一致運動
・第六章 機能性文学論
・第七章 教養小説と成長の不在
・第八章 AI文学論
あとがき 歴史のシンギュラリティーに向けて

感情化する社会
大塚英志 [太田出版 2016]

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