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『「目標」の研究』(倉下忠憲)

しばらく考えていたのだが、自分の本棚に自分が書いた本が並んでいないのは不完全__画竜点睛ほどでなくても鱗一枚くらいの欠損ではあろう__なので、しれっと書いておくことにした。思考実験すれば、こうなる。

仮に私が書店を経営するとして、その棚に自分の本を置くか? Yes__ただし、しかるべき文脈の棚に。

[前置き終了]

というわけで、『「目標」の研究』である。年末年始にこれほどぴったりな本はないだろう。

本書は、「いかに目標を達成するのか」という視点ではなく、「そもそも目標とは何か?」の問いかけからスタートし、その後目標にまつわる失敗とその弊害を確認しながら、最後に目標との付き合い方を再定義している。最後の方に、わずかに夢についても触れられている。

著者によると、最後の最後まで本書の仮題は「夢と目標の研究」だったそうだ。夢というフレーズはキャッチーなので、入れておいた方がよいのではないかと編集者ペルソナが言っていたらしい。ただ、表紙作りの際、言葉の収まりが悪いことに気がつき__「夢と目標」なのか、「夢」と「目標」なのか、カッコをつけないか、どれもイマイチだ__、デザイナーペルソナが反対票を投じて、結果的にこのタイトルになったようだ。非常にシンプルで、ストイックさすら感じさせるが、中身はわりと緩い。緩いというか、緩さと固さが混在している。

本書は二つのレイヤーを持っていて、それぞれ常体と敬体で書き分けられている。一応「本文」と呼べるのが常体で書かれている方で、本書の大半を占める。しかし、それがメインフレームと呼べるのかと問われると困らざるを得ない。本文を包み込む、敬体で書かれた一種のパッケージングは、おまけのようでいて、そうとも言い切れないのだ。本書の意図が、メタ視点の提供であならば、こちらこそメインフレームと呼べるだろう。ある意味で、その辺を読者任せ__読みたい人が、読みたいように読める形__にしているわけだ。

本書が提供するのは、「目標についてどう考えたらいいのか」という視点であり、それは極言してしまえば「目標」に限定されるものではない。人が心に抱く何かしらの意図全般について転用できることだ。本書内でも言及されるが、「目標」と「目的」は入れ替わってしまうことがある。その意味で、それを何と呼ぶのかはあくまで便宜的なものでしかない。それを目標と呼んでも夢と呼んでも、別の何かと呼んでもいい。ただ、それについて自分がどのように認識し、どう接していくのかが重要である。

全体を通して、著者は自分が設定したものに自分が縛りつけられてしまう状況に警鐘を鳴らしている。なにせ「自分」なるものは一枚輪ではない。そこに、黒い小さい獣が跋扈する余地があるわけだ。その点は、努々忘れないようにしたいものである。

「目標」の研究
倉下忠憲 [2016]

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