神経科学および薬理学を専門とする著者による、脳に関する知見を紹介する一冊。親しみやすい文章でありながら、知的好奇心もきちんとくすぐってくれます。
雑誌「VISA」での連載エッセイに、補足の原稿をいくつか追加した構成になっていて、補稿原稿の文体がエッセイと異なるのですが、慣れてしまえばどうということはありません。
本書から、面白かったお話を3つ紹介してみます。
1)記憶力を高めるには
記憶力と脳の海馬には深い関係があることが指摘されており、記憶力を高めるには「海馬」の機能をアップさせるのが一番だと言われています。
もちろん、毎日しっかりと勉強することも方法の一つでしょうが、必ずしもそれだけではない、と著者は説きます。
たとえば、「マンネリを避けて刺激ある日常生活を心がけることも効果的だ」というお話。
効果がありそうな方法として、
- 遊び道具で遊ぶ
- 適度のランニング
- 食べ物を良く噛む
- 社交の場に積極的に出ること
- ストレスを避けること
が紹介されています。
その他、「幼児の場合だったら母親の愛情をふんだんに受けること」が海馬神経の増加に有利というお話も紹介されています。親バカ、という言葉がありますが、母親がバカになればなるほど、子どもの海馬神経はその分増加しているのかもしれません。
しかし、それが行きすぎると過保護となり、結果として刺激ある生活が失われてプラスマイナスゼロ、ということも考えられます。バランスが大切ですね。
私であれば、ゲームをよくするので「遊び道具」はクリアできているでしょう。ランニングは、「適度」とはとてもいえませんが、ごくたまにやっています。良く噛むことは最近意識していて(主にダイエットのため)、社交の場にはまったく積極的に出ていませんが、トーク番組で話す機会は増えてきました。ストレスはほとんどありません。
トータルでみると、「そこそこ良い」ぐらいの環境でしょうか。
一人で引きこもって仕事をしていると、こうした刺激からどうしても遠ざかってしまうので、意識的に生活に「刺激」を入れることも必要なのかもしれません。その点、Twitterは良い仕事をしてくれます。
2)過学習について
人が何かを学習する上で「スピード」が鍵を握っている、というお話です。
脳科学的には、時間がかかりすぎるのも問題だけども、速度が速すぎるのもこれまた問題、となっているようです。スピードを求められる社会にとって、これは警句となるかもしれません。
例として「あ」という文字の学習が解説されています。
人間の脳を模倣したコンピューターがあったとします。それに文字を覚えさせる作業を行う。まず、私が書いた「あ」という文字を見せる。コンピューターはすぐさまそれを「あ」と学習する。するとどうなるでしょう。
別の人が書いた「あ」を見たとき、それを「あ」とは認識しなくなるそうです。やはり二人の人間が書いた「あ」という文字は微妙に違うでしょう。だから、「これは、さっきのとは違うな。つまり<あ>じゃない」という判断が働くわけです。
もし、「あ」の認識を新しい方の「あ」で上書きしたら、今度は私が書いた「あ」が「あ」とは認識されなくなります。
人間があっさりできてしまうパターン認識は、コンピューターにはそんなに簡単ではない、という話ですね。でも、これはきっと人間にも同じようなことがいえると思います。
著者は、
(前略)要するに、学習が早いと、見かけ上の情報だけに流されてしまって、「あ」の”本質”に近づけないということです。せっかく記憶しても、それは融通のきかない断片的な知識にすぎません。これを「過剰適合」、あるいは「過学習」と呼びます。
と解説してくれます。
なんだか現代の情報社会(特にネット)の問題点が指摘されてるようにも感じます。
3)睡眠に似た行動
記憶力のテストをする場合、何かを記憶してから、睡眠を取ると得点が高くなる、という話は有名です。睡眠による「記憶補強効果」と呼ばれているようです。
ただ、睡眠を取らなくても、これと似た効果を引き出せる行動があるようです。それは「目を閉じてリラックスする」こと。
つまり学習促進効果に必要だったのは睡眠そのものではなかったのだ。環境からの情報入力を断ち切ることで、脳に情報整理の猶予が与えられる。ちょっとしたうたた寝でもよい。
逆に言えば、睡眠時間も短く、絶え間なく情報のインプットに晒されている人は、情報整理の余裕をほとんど持っていない、ということでもあります。
これも現代社会が抱えている問題かもしれません。
睡眠時間を確保することも重要ですが、「ネットから距離を置く時間」を意識的に設けて、ぼーっとすることを増やす、というのも案外大切なのかもしれません。
脳は私たちの体の一部でしかない、といってもやはり脳が担っている役割は決して無視できるものではありません。脳の性質を理解して、できるだけうまくそのスペックを引き出せるように生活していきたいものです。