一見すると、大学での勉強法(ノウハウ)を解説した本にも思えるが、実際は姿勢や心構えといったものが語られている。
もちろん、「楽して単位を取る方法」などではなく、現代における学びの意味や、社会が変革する中での大学の役割などが中心的な話題だ。とは言え、ここで言う「現代」とは著者が本書を著した時代のことであり、書誌情報を覗いてみると、1966年とある。昭和41年だ。おとぎ話とまではいかないが、十分に昔話ではあろう。
その点に関して二つ思うことがある。ある意味において、本書で語られていることは今これを書いている「現代」(2017年)においても十分に通用する。対話の重要性、大学におけるゼミナールの意義といったものは、今も昔も変わらないのだろうし、むしろパソコンとネットワークで知識の学習自体は自宅でもできてしまう現代だからこそ、むしろそうした対話の場の重要性は上がってきている気すらする。同輩あるいは、教授、そして分野の違う人々との活発で活発な対話は、単に「学際志向」というだけではなく、本人の世界観のずっと根っこの部分にまで影響があるはずだ。基本的にそれは好ましい影響だと言えるだろう。
しかし、である。
本書で書かれていることが、現代の大学生にどれほど訴えかけるのかは少々疑問だ。そもそも「卒業されすればいい」と、大学を就職への踏み台としか考えていない人間にとっては、本書のお話はほとんど無用な小言以上の何者でもないだろう。「知らんがな」という奴だ。もちろん彼らはそんなことはおくびにも出さず、表面的には「たしかにそうですね」と頷くに違いない。教授の考えに反論する合理的な意味などまったくないのだから。そしてそれがまさしく、著者が懸念する対話の欠如、ということでもあろう。
よって本書は、現代的な文脈に置けば、「大学」の名前を外して、「いかなる姿勢で学問するか」というカテゴリ付けをした方が、届く人には届くだろう。本書を通して語られる著者の人生に沿った「学問」の在り方は、権威主義に飲み込まれたアカデミズムとはまた違った視点を提供してくれるだろうし、その視点は、学ぶ場所が「大学」以外に広がっている現代において、さまざまな人に有効なのではないかとも感じる。
▼目次データ:
1 学ぶということ
2 学問へのわたしの歩み
3 現代が背負う二つの課題
4 わたしの歴史研究
5 苦楽一如
6 対話の学び
7 現代学問のすすめ