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『リアル 30’s』(毎日新聞「リアル 30’s」取材班)

20150205185048

私たちの「リアル」は乖離しつつある。本書が提示する一番残酷なリアルがその事実だろう。

そもそも「私たち」という感覚は、リアルさの共有によって生じる。言い換えれば、リアルに差異があれば、「私たち」から疎外されてしまう。

「リアル」な感覚が乖離していけば、他者からの理解も協力も得られない。あげくのはて、非難されてしまうこともある。イマジネーションの及ばないところには、同情の芽も共感のほとばしりも発生しない。

生き方が多様化しているにもかかわらず、あるいはそうであるがゆえに発生する「生きづらさ」。一億層中流という幻想が機能していたころは、まだいろいろなものが「私たち」に包括されていた。今では、そうではない。

本来なら、ライフスタイルにまつわる問題は、世代的課題として展開・議論されていくだろう。しかし、そこにリアルの乖離が発生すると、問題がねじれてしまう。誰かが抱える問題は、あくまでそれぞれの人が抱える個別の問題として決着してしまうのだ。なぜならそこには「リアル」さの共感がないからだ。つまり、自分の問題として引き受けることができない。言わば、世代的連帯感が発生しないのだ。

そこから半歩でも足を踏み出せば、もう「自己責任」というフレーズが顔を見せる。そうなれば、議論は沈黙してしまうだろう。

現代は、明らかに若者には厳しい時代だ。でも、中にはそれほど厳しい状態に置かれていない若者もいる。仮に、後者のような若者が言論の主導権に握ってしまったらどうなるだろうか。そうした若者に「リアル」さの共感が欠けていたら、一体どのような主体が疎外されてしまうだろうか。いかさか怖い想像だが、そういうことは十分に起こりえるように思う。

世の中にあるさまざまな「リアル」に触れておくことは、大切であろう。

リアル30's “生きづらさ”を理解するために
毎日新聞「リアル30’s」取材班 [毎日新聞社 2013]

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