第22回電撃小説大賞受賞作。
萌え要素は皆無である。そして、扱われているテーマは重々しい。ちっともライトではないライトノベルだ。
あえて言うならば、ミステリーっぽい作品となるだろう。つまり、いろいろ書くとネタバレになってしまう。また、「この結末に、あなたは必ずダマされる」的な表現も、最終的には興ざめしか呼ばないので、ここでは一切使わない。
本作は、一人の男子中学生が起こす「革命」の話である。彼は、自嘲気味にその「革命」を語り始める。いわば、読者はその革命の目撃者になる。ある程度読み進めると、想定できるオチは二つしか無くなる。どちらにせよ悲惨な結末だ。
この物語には、どこにも救いようがないように感じる。著者はそれを意図して物語を紡いでいく。何もかもを壊し、そうして壊している主体すらも壊す。それだけでは、どこにもいかない。
おそらくその感覚は、中学生だけに限らず、現代を生きる若者であれば、何かしら近しいことを感じているものかもしれない。もちろん昔から、若者特有のその感覚は存在した。しかし、現代ではそれがより研ぎ澄まされ、さらに隠蔽された形で浮かんでいる。研ぎ終えたばかりの不可視の刃がそこら中に浮かんでいるのだ。
本作中に登場する、あるテストは、現代社会に存在するあるもののメタファーだ。それがどれほど恐ろしく、有用で、不完全であるのかを著者は描き出す。しかし、それは強固に目の前に立ちはだかる。
システムとはそういうものだ。個人の力で壊すなんてことはもともと不可能なのだ。なぜなら、それは多くの人が無意識で求めているものを顕現させているに過ぎないからだ。勝てる戦いではない。
でも、それだけなのだろうか。
ページを読み終えたあなたは疑問を抱くだろう。青臭いのかもしれない。所詮は作り話なのかもしれない。でも、本当にそれだけなのだろうか。
それは十分に問う価値のある疑問だ。生きて確かめるだけの価値のある問いだ。いっそ、僕らはその問いを確かめるために生きているとすら言っていい。
「ただ、それだけでよかったんです」
愚かは僕たちは、その事実に後から気がつく。必ず、手遅れになってから発見する。遅れてきた考古学者。それが僕たちだ。
でもだからこそ、僕らは未来に希望を抱くこともできる。
万能でないことは、嘆くことか尊ぶことか。難しい問題だ。
松村 涼哉 [KADOKAWA / アスキー・メディアワークス 2016]