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怯えるとき人は理想を語り始める

『逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!新春スペシャル!!』において星野源演じる津崎平匡は、妻の森山みくり(新垣結衣)に対して「理想の父親」になることを宣言した。後に明かされることだが、このとき平匡は怯えを感じていたのだという。

たしかに子どもを持つことは未知の体験であり、未知の体験に人は怯えるものだ。そうしたとき、人は理想を語り始める。現実とはほど遠い理想を。

それは決して批難されることではない。そのような理想の掲示は、いわばドーパミン的な刺激であり、人を鼓舞する力を持つ。言い換えれば、未知の状況に立ち向かうためのエネルギーを沸き立たせる。そうしたエネルギーが欠落していては、うまく状況に対処することは叶わないだろう。

一方で、そうして掲げられた理想が現実を直視することを避けるためのバリアになってしまうことはある。「かるあるべし」が強く機能しすぎて、目の前にある状況と自分とをうまく適合させられない結果を生じてしまう。言い換えれば、掲げた理想から「外れる」ことができなくなる。それはそれでつらいものだ。

すべてのことは、後から振り返ってみれば、「理想なんて持たなくてもよかった」と語ることができる。実にしたり顔でそれができる。でも、理想を持たなければ、その状況に立ち向かうためのエネルギーが果たして湧いてきたのか、という点は慎重に検討する必要がある。後知恵バイアスというものもあるが、後からだったらいくらでも綺麗事が言えてしまう。それもまた一つの理想の変形なのかもしれない。きっと何かに恐怖しているのだろう。

私たちは怯えるときに理想を語り始める。進むためのよすがとして。

それは決して悪いことではない。あるいは、良い悪いで断じられるものではない。そのときは、そうあるしかなかったのだろう。そう考えることはできる。

それでもあくまで理想は理想である。現実へ転化する可能性はどこにも保障されていない。さらに、理想ばかり見つめることで現実を見失うことすらある。その点についてだけ、注意を止められるのならば、理想を持つことは悪くはない。それが人間の力でもある。

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