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そのとき、本が生まれた(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ)

実に興味をそそるタイトルです。原題は「L’ALBA DEI LIBRI」。

イタリア語はさっぱりわかりませんが、<LIBRI>が本を意味することはなんとなく推測できます。英語のlibraryとも似てますね。一応検索してみると、英語のBookに相当する言葉が<libro>だそうです。たぶんこの活用形なのでしょう。そのまま機械翻訳にタイトル訳を任せてみると「本の夜明け」という意味になるようです。

ついでに副題の「Quando Venezia ha fatto leggere il mondo」も機械翻訳すると「ヴェネツィアが世界を読むことを作ったとき」となりました。こなれた日本語ではありませんが、ニュアンスはわかります。

さて、ヴェネツィアと本の夜明けにはどんな関係があるのでしょうか。


本の始まりは、「本」をどう定義するのかによって変わってきます。なにせ「本」と呼びうるものはずいぶん昔から存在し、私たちの文化を刻んできたのです。

でも仮に、今現在「本」と呼ばれているものに限定するならば、その始まりはグーテンベルクの活版印刷としても違和感はないでしょう。1400年代半ばに登場した「革命」です。

しかし、グーテンベルクはドイツ人であり、本書の舞台はイタリアのヴェネツィアであって、そこは微妙に一致していません。それに本書は15〜16世紀が主だった時間軸で、グーテンベルクの革命よりも少し後の世界を描いています。どういうことでしょうか。

著者は、グーテンベルクの活版印刷の技術は重要だったが、それが「本」という文化を形成するには十分ではなかったと説きます。現代のような「本」が誕生するのはむしろその後のヴェネツィアにおいてだと言うのです。

言い換えれば、グーテンベルクが本の卵を産み落とし、ヴェネツィアの街と文化がその卵を孵化させた、そんな表現もできるかもしれません。

そうして殻を蹴破って出てきた雛鳥は、今私たちが「本」と呼ぶものと近しい形をしていたことが本書では語られています。雑多なジャンルが乱立し、日常生活の娯楽として一般大衆が消費可能で、読みやすいデザイン上の工夫がなされ、さらに持ち運びやすい文庫本というサイズまでが存在する。そういう「本」の形式がヴェネツィアの街で誕生したのです。

印刷の技術だけでは十分ではなく、ヴェネツィアが育んでいた豊かな文化が「本」の発展には不可欠だったのでしょう。


本書を読みながら、紙の本の歴史を楽しみつつも、今後の「本」の発展にも思いを馳せました。つまり、電子書籍、それも個人出版の電子書籍の発展についてです。

現状の「電子書籍」は少しずつ発展に向かっています。

まず、技術については整備されつつあり、どが付く素人でも学ぶ意欲されあれば誰でも本作りに取り組めます。実に素晴らしいことです。今後も新しいツールの登場で、さまざまな本の作成が容易になっていくことでしょう。

では、資金周りはどうでしょうか。活版印刷に比べて低コストで始められるので、スポンサーや共同出資者を捜す必要はありません。しかし、それで生活できるほどの売り上げを作れるかというとまだ微妙なところでしょう。ただし、直接的な資金集めの方法は個人にも開かれていますし、マーケティングも個人で行えます。完全とは言えないまでも、道筋はあるといったところでしょうか。

もう一つ気になるのは、言論の自由についてです。これについては、まだ何か言える段階ではありません。宗教的弾圧(とそれにともなう焚書)はないにせよ、アマゾンなどプラットフォーム提供者の「レビュー」(内容チェック作業)は存在しています。仮にAmazonを酷評するようなKDP本が発売できないとしたら、私たちは少し足を止めて考える必要が出てくるかもしれません。少なくとも、彼らが気にいらない本を発売できないなら、それに対する手段を準備しておく必要があります。

なにせ昔と違って焼くための本を探し、集めて回る必要はありません。コマンドひとつで、跡形もなく本を消してしまえます。そういうことが起こりうるのです。

最後に気になるのが、文化的土壌です。ヴェネツィアの街が有していたある種の文化的傾向と言ってもよいでしょう。

 ルネサンス時代の書店では知識人どうしが顔を合わせ、話に花を咲かせて、しばしばアカデミーを思わせる場だったという記録が多く残されている。

「知識」というものに経緯が払われ、ついでに対価も支払われていた環境がそこにはあったのでしょう。

そんな環境があったからこそ、本の素材(コンテンツ)は際限なく湧き出てき、それを買う人が後を引かず、出版業や書店がビジネスとして成立したわけです。

そういう環境が、今の日本にはあるでしょうか。

あるのかもしれませんし、ないのかもしれません。

なければないで、消費されるエンターテイメントなコンテンツとしての「本」が大量に作られ、それはそれで一つの文化をはぐくんでいくこともあるでしょう。その先行きに関しては、今のところ何とも言えません。なにせ文化は目に見えませんので。

一つ言えることは、紙の本と電子書籍は同じものではありません。特に個人出版のKDPは、まったく新しいものとして捉えた方がよいでしょう。

たぶん、その出発と発展の経緯は、紙の「本」の夜明けと重なる部分がいくつも出てくると想像します。

そのとき、本が生まれた
アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ[柏書房 2013]

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