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『不自由な男たち』(小島慶子、田中俊之)

日本は男性社会(男性優位社会)と呼ばれているし、実際その通りではあろう。2019年になってなお、女性の社会進出と機会の均等性は万全とは言えない。全体的に言って、女性は苦労している。

一方で、男性はどうなのだろうか。女性が苦労しているなら、男性は悠々自適に生きている?

どうやらそんな簡単な話ではないぞ、ということに本書を読むと気づかされる。一つには、社会はたしかに男性を優遇する一方で、男性性の規範を個人に押しつけてくるようなところがある。それにうまく馴染める人ならばいいのだが、そうでない人にとってはなかなか辛い。

たとえば、「ルパン三世のテーマ」のサビに「男には自分の世界がある」という歌詞があるのだが、これを逆向きに見れば、「自分の世界」を持たないようなものは一人前の男(立派な男)ではない、という規範性を示している。なんとなく、息苦しい感じがするではないか。

実際、日本の、特に戦後日本の社会では、大学を出て、それなりの会社に勤め、家族を持ち、家を建て、そのローンを返済しながら、子どもを立派に育て上げる、というロールモデルが強く機能していた。あまりにもそれが強すぎたために、「それ以外の選択」というものを検討しないまま、人生を歩んでいた人がかなり多かったのではないかと思う。これは、非常な重圧であろう。

もちろん、そのロールモデルに沿う形で生きれば、きちんと社会が恩恵を返してくれていた時代ならば、表面的には問題はないように見えた。一応それで人生の「あがり」までのルートが示されていたし、そのことに疑問を持つこともなかったからだ(自身の人生への疑問は、ときとして強すぎる毒になる)。

が、現代はとてもではないが、そういう時代ではない。ある時代に光り輝いていたロールモデルは、もはやメッキが剥がれ、埃まみれになりつつある。しかし、「男性はかくあるべし」という規範性だけは、人の心の中に残っている。そのままロールモデルに準拠してもしんどいし、そこからドロップアウトしても世間的な評価は落ち、それに伴って自己評価も下がる、という悲惨な板挟みに遭っている。

もちろん、だからといって女性の方が恵まれている、という単純な話になるわけではない。むしろ、両方が違った形で苦しみや不自由さを抱えているのが、現代社会なのである。

その問題に気がつき、改善のための声を上げる人は徐々に増えているかもしれないが、それでも、社会が一気に変わることはない(むしろ、一気に変わってしまう社会は不安定すぎて怖い)。

だから、私たちはこのズレの中を、なんとか生きていくしかない。お互いが、お互いに抱える問題に気がつき、負担になりすぎない程度の気配りを持って。

不自由な男たち その生きづらさは、どこから来るのか (祥伝社新書)
小島慶子、田中俊之[祥伝社 2016]

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