こっそり書くと、完全版よりも旧版の方が私の好みである。いかにもおちゃらけた雰囲気のある表紙なのだが、内容と実にマッチしている。それに比べると、完全版の方は、いかにも完全版という出で立ちで、いささか堅苦しい。でも、趣旨は変わっていないから別段文句を言うほどでもない。
本書の基本的な方針はこうである。
「明日できることを今日やるな」
言い換えると、こうなる。
「今日は、今日やるべきこと(だけ)をやれ」
至ってシンプルな方針なのだが、実際にタスクを回していると、なかなか困難であることに気がつかされる。
私たちの脳は、重要性よりも緊急性を評価して価値判断を行ってしまう。あるいは緊急性が重要性の評価に歪みを与える。誰かから依頼されたことは、すぐさま取りかかりたくなる。別に明日でも問題ないのに。そして、今日他にすることがあるのに。で、今日他にすることを明日に回すと、明日のやるべきことが圧迫されて、また何かのタスクが次の日に先送りされてしまう。そのようにして、緊急性が重要性を駆逐し、大切な作業がなかなか終わらない、終わるにしてもかなり作業を圧迫させないと無理、ということになる。
一般的な考え方でタスクリストを運用していると、だいたいそのようになってしまうものなのである。さらに日本では、努力や根性という名の残業で、「やるべきこと」をなんとしてでも終わらせるのがかっこいい、みたいな奇妙な価値観もある。困難を乗り越える姿に英雄を見て取るのは世界共通なのかもしれないが、実際やっているのはたわいもない作業ばかりなのであるからして、ここには改善の余地が十分にあるだろう。
では、本書はどんな解決策を授けてくれるだろうか。リストを閉じることだ。これまた非常にシンプルなのだが、反面ものすごく強力である。「今日やること」を一旦決めたら、後からそこに何かを追加するようなことはしない。絶対に・どうしても・喫緊にやらないことは例外として、それ以外は明日に回してしまう。たった、これだけなのだが、このルールは相当に強力である。それまで、オープンなタスクリストしか運用したことがない人にとっては、異国を訪れるような経験になるだろう。
とは言え、これを完璧に回すのは、簡単ではない。日本では「上司に言われたことは、さっさと取りかかる」のがが忠誠心の表明として扱われる旧石器時代のような価値観も残っているし、「明日でもいいですか?」と訊こうものならば、睨まれてしまう職場もたぶん現存しているだろう。ばかばかしい話だが、だからといって笑い飛ばせばその会社や上司が吹っ飛ぶわけではない。現実は現実として対処していく必要がある。
それでも、だ。リストを閉じることには大きな意味がある。なにしろ、開いているリストは疲れるのである。なにせ終わりが見えないのである。これはしんどい。さらに、終わりなく作業をしていると、一日分の作業量も見定まらないし、それはつまり二日後三日後に自分がどの程度の作業を抱えているのかの目算もつけられないことを意味する。未来は常に不確定であるが、その度合いは著しく大きいものになってしまう。
そういう状態は結構危うい。膨れすぎた風船のようなものだ。針の一差しで、バンっと破裂してしまう危険性を持つ。
私たちが仕事に追われるのは、もちろん可処分時間以上の仕事をそこに詰め込もうとしているからだ。それをピッタリ合わせれば、少なくとも追い立てられているような感覚(これはオープンなリストがもたらす感覚である)は減少する。
もちろん、職場の方が、際限なく仕事を振ってくるようなブラック環境であれば、リストをどう運用しようが状況は変わらないので、さっさと立ち去った方がよいだろう。それもまた、リストをクローズすることなのだから。
マーク・フォースター 訳:青木高夫 [ディスカヴァー・トゥエンティワン 2016]
マーク・フォースター 訳:青木高夫 [ディスカヴァー・トゥエンティワン 2007]