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MODUL.JPのタニマチ式WEBマガジンという選択

MODUL.JPという新しいサイトが始まった。タニマチ式WEBマガジンだと言う。

MODUL.JPについて、またタニマチ式WEBマガジンとは何か? | MODUL.JP

Webとコンテンツと広告を考えるのは難しい。特にそこに利益が関わっているとなおさらである。コンテンツを作り続けるには利益が必要だが、Webにはコンテンツが溢れかえっているのでコンテンツだけでは利益は生み出しにくい。そうなると広告による間接的収入が代替案となるが、単価が低ければPV数が必要で、PVを得るためにコンテンツの傾向自体を変えなければいけない問題が出てくる。あるいは、もっと悪質に誤クリックを誘うような広告を貼るか。

もちろん、ここでは読者のことなんてさっぱり忘れられている。だったら記事広告はどうか、という話になってくる。これだったら読者も楽しめるよね、というところだが、それほどうまくはいっていない。きちんとした広告記事にはやっぱりコストがかかるし、誰でも書けるわけではない。そもそも、質よりも先にライターやメディアの人気があって、初めて読んでもらえるという状況もある。それですら、PVを記事タイトルにつけるとアクセス数が減るらしい。困ったものである。

さらに困るのが、そうして広告が巧妙化していけばいくほど、読み手からは嫌われるということである。だって、隠すということはそこに何か裏があるんでしょ、と推測するのは人間の情である。隠さなければいけないものを私たちに読ませるとはなんということだ。こうして広告と読者の関係は疎遠になり、やがては険悪になっていく。どうにかしなければならない。

私は、Web的な良さを持ちながら、それでも書き手にきちんと利益がいくように雑誌を作った。「かーそる」という雑誌だ。ライターを専業としている書き手もいるが、基本的には素人であり、ブロガーである。そういう人たちが集まって記事を書いた雑誌を、それなりの値段で販売した。そして、これは(創刊号的お布施はあるにせ)そこそこ売れた。私はこのモデルも結構ありだと思っている。ただし、これだって誰にでもできるわけではない。ニュース記事とか日記しか書かない人には、こういう雑誌の書き手は向かない。ここにも難しさはやっぱりある。

さて、回り回ってタニマチ式WEBマガジンである。これはなんなのか。

タニマチとは、大阪の谷町七丁目とかの谷町が由来であり、そこで「開業していた医者が大の相撲好きで、力士が診察に訪れた際に治療費を受け取らなかったことから」「相撲界の隠語で、ひいきにしてくれる客、または後援してくれる人、無償スポンサーのこと」を指すとウィキペディアに書いてある。まあ、定義や語源はどうでもいい。

最初に引いた記事にはこうある。

つまりWEBでの情報発信に対して、スポンサードしてくれる企業を複数つのって、それらの企業とは別の運営元を作るということです。

企業と情報発信と言えば、すぐさま「オウンドメディア」が思い浮かぶか、その運営にはコストがかかる。やはりちゃんとしたメディアの運営にはお金と時間が必要なのだ。

では、自社メディアを展開するのではなく、自分たちのことを書いてくれるファンを集うのはどうか? いわゆる「アンバサダー」制度だ。しかし、もはやこれは、安いお金でライターを使うための口実にしかなっていない。あるいはたちの悪いステマを隠蔽するための制度である。その製品のことは特に好きではないけど、お金とかもらえるから好きなことにして書く、というのはどう考えても欺瞞であろう。

「タニマチ式WEBマガジン」の考え方は、至ってシンプルだ。複数の企業にスポンサードしてもらい、そのことを明示して、頑張って記事を書く。以上。いいじゃないか。実にわかりやすい。MODUL.JPは、企業の支援の上に成り立っているメディア(雑誌)である。それ以上でもそれ以下でもない。企業の方も、全額負担する必要がないし、いちいち個別のブロガーを探し回る必要もない。結構ウィン-ウィンである。

個人的に、Googleアドセンスのような、何が表示されるか自分にはわからないタイプの「スポンサード」はあまり好みではない。スポンサードってそういうものかな?という気すらしてしまう。たとえば、私が記事を書く、そしてその下にKOKUYOとか岩波書店の「私たちはこのブログを支援しています」みたいなのが表示される(あくまでたとえだ)。すると、私の書いた記事を良いなと思った人が、その企業にも好感を覚える。これがスポンサードというものではないだろうか(まあ、これはあくまで一つのパターンでしかないだろうが)。

私は「かーそる」で、広告的なものを一切排除する雑誌を作った。「MODUL.JP」はむしろ逆に、広告的なものを前提として引き受ける雑誌である。それだって別にぜんぜん構わないのだ。人は広告も、広告から生まれるコンテンツも嫌ってはいない。むしろ、そこに潜む欺瞞の匂いを嫌悪しているのだ。

私が特にいいなと感じたのは、「タニマチPR」という表記である。おそらくはオジ旅PRからの派生だとは思うのだが、これは従来嫌われていたPR表記をむしろ好意的に、あるいは特別な意味を持つように置き換えている。これは一種の発明であろう。PVを消す方向ではなく、むしろそれを新しい文脈付けにつかうこと。コンテンツに価値を加えるものとして扱うこと。そのような意図を感じる。

とは言え、MODUL.JPはまだ始まったばかりである。マガジン(雑誌)の価値というのは、その継続性の中で生まれてくるので、今の所は何とも言えない。ここから生まれる記事が、チラシの裏であったとしたら、その評価も変わってくるだろう。ウィン-ウィンはあるかもしれないが、読者を巻き込んだウィン-ウィン-ウィンとなれるかはこれからである。

それでも、こうした斜めからの切り込みのように見えて、実はまっすぐな取り組みは個人的に大好きである。応援したいとも思う。

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