Lifehacking Newsletter 2016 #24より。
ブログは、もちろん本ではありません。雑誌でもありません。メディア的ですが、メディアたらしめているのは実はブログという形式そのものでもありません。
アーカイブできるログとしての「ブログ」とは別のところに、記事の順番や、みせかたや、拡散方法に、いわば読む内容とはべつの、宙に浮いたブログという存在があって、こちらもあわせて作品として描き、演出し、利便性とともに読者にとどける必要があります。
たとえば、R-styleというレガシーブログを考えてみよう。
トップページの頭には最新の記事があり、そこから逆向きの時系列で10ほどの記事が並んでいる。サイドバーには「カテゴリ」があるし、検索ボックスもある。が、動線としては弱い。
これは何を意味しているのだろうか。私はR-styleを、「読者さんが毎日一回アクセスして、最新記事を読む」ブログだと想定している、ということだ。強いリピーター指向と言ってもよいだろう。
だから私は運だなと、思う。
ある日、誰かがはじめてR-styleにアクセスしたとする。そのときその人がR-styleに抱く印象は、おそらく最近書いた記事に強く左右される。でもって、R-styleには決まったパターンがない。ある日には、「ソリッドステート・カレッジ」みたいな記事がトップを飾り、別のある日には「やりたいことをやるために僕たちができること (その1)」が、別の日には「タグで本をつなぐ」で、さらに別の日には「【書評】デジタル・ジャーナリズムは稼げるか(ジェフ・ジャービス)」がトップを飾る。どれとして、単一的な印象を形成しない。ようはバラバラなのだ。そこでR-styleを気に入ってもらえるかどうかは、かなりの運だと言える。
もし、トップページが違ったデザインであればどうだろう。最近人気の記事や、私自身がプッシュした記事がトップを飾り、その他カテゴリごと(書評、ブログ、執筆、創作文、Evernote)にいくつかの記事が並んでいる。そんな形であれば、最初に遭遇した読者さんも、「ああ、こういうことを書いているブログなんだ」ということがわかるだろうし、そのうちの気になるカテゴリを2,3覗いてみたりもするかもしれない。
トップページの在り方によって、こういう動線はまったく変わってくる。
速報的・ネタ的なブログであれば、過去の記事はほぼ意味をなさないので、トップページからの動線はあまり意味を持たない。逆に、お食事処の情報を扱うブログなら、ストックこそが価値であるから、動線の作り方は慎重になるべきだろう。記事がどのように利用されるのか、どう読まれるのかによって、最適解は変わってくる。
さて、R-styleはどうだろうか。
私はそれにうまく答えることができない。なぜなら、私自身がそれを分かっていないからだ。現状、私が言えることは、R-styleは過去記事を相当に軽く扱っている、ということだ。新規読者さんが、R-styleをコンテンツの宝箱として利用するのは相当に難しい。今のデザインではせいぜい「Evernoteリンク」のページぐらいが、その機能を担ってくれているが、それ以外のカテゴリはお手上げである。
ということはわかっていても、じゃあR-styleを改修していくのかは、なんともいえない。なにせ手間と時間がかかる。私はその時間をむしろ「R-styleセレクション」的な本作りに使いたいとも思うのだ。それは別に、それを売って儲けようとかではなく、メディア的変換を作用させることで、コンテンツに別の文脈を与えたいというのが、奥にある気持ちである。
でもまあ、さすがに今の状態は過去のコンテンツ利用に不向きすぎるよな、とも感じている。できる範囲では手を加えてみようかとも思う。