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『100%共感プレゼン――興味ゼロの聞き手の心を動かし味方にする話し方の極意』(三輪開人)

著者はNPO法人e-Educationの代表であり、ブロガーつながりで私もよく知っている。

彼の最初の印象は「プレゼンがうまい青年だ!」だったが、そこからさらに磨きがかかった彼のプレゼンノウハウが本書には詰め込まれている。目次は以下の通り。

第1章 赤っ恥、離婚、部下の離反、営業連敗……人生のどん底で紡いだ共感プレゼン
第2章 目指すはオバマ前米大統領の伝説のプレゼン 〝私たちごと〞を生みだす「共感シナリオ」
第3章 スティーブ・ジョブズのプレゼンがお手本 欠落を残して想像を誘う「共感スライド」
第4章 最強ではなく最愛の存在に、ルフィの人間力が教科書 弱みをさらけ出して味方にする「共感トーク」
第5章 誰よりも練習をしたイチローの背中に学ぼう 繰り返して五感に刷り込む「共感トレーニング」
終章 これからの時代に必須の「共感」というスキル プレゼンは誰のために

スライドの作り方などは『プレゼンテーションZEN』などでおなじみのテクニックであり、ようは「詰め込みすぎたら、誰もついてこれない。むしろ余白を活かせ」という話だ。いわゆるビジネス会議的プレゼンテーションのスライドは、それ以外の場面ではあまり活躍しない。それを知っているだけでも、かなりスライドの作り方は変わってくるだろう。

が、本書の肝はそこにはない。「共感」というゴールに向けていかにプレゼンの全体像を構築していくか、という点が肝である。

プレゼン(presentation)=プレゼントとして、聞き手に贈り物を与えるようにプレゼンをデザインすること。そのために必要なのは、もちろん共感である。つまり、自分が聞き手の立場になってみることだ。そうすれば、おのずと「やってはいけないこと」がいくつも見えてくる。

これは、情報を「手渡す」ときに、常に効いてくる原則である。結城浩さんは「読者のことを考える」という原則でこれを言い表しているが、執筆という行為(あるいはそれによって表される本)がギフトだとするならば、そこで必要なのもイマジネーションである。

贈り物が贈り物として成立するのは、物品のやり取りがあるからではない。「これは相手に喜んでもらえるだろうか」と思いを巡らす行為と時間があるからである。それが、単なる物品を贈りものに変える。思いが、現実を上書きする。それがプレゼントであり、ギフトである。

冒頭明かされる著者の結婚式準備のエピソードは、理屈っぽい私にも痛い話だ。「正しいこと」(正論)が大好きな私たちは、すぐにそれを探して相手に押し付けようとする。そう。正論は常に押し付けられるものである。手渡されるものではない。だからこそ、正論では問題は解決しない。言い換えれば、正論では解決しないから、その状況が問題となっているのだ。

人と人とのやりとりにおいて必要なのは、イマジネーションである。親身になって話を聞くことが有効なのか、それともそっとしておくのがいいのかは、その人それぞれに違っている。単一のメソッドを流用すればすべてうまくいくなどというのは幻想である。

頭の回転が速い人、理屈が好きな人ほど、この事実を忘れてしまう。正論がすべてを解決してくれるように感じてしまう。そうして、目の前の人間のことを見失ってしまう。「大切なものは、目には見えないんだよ」と『星の王子様』のキツネは言った。まさにその通りだ。私たちがすぐに見失ってしまうものこそ、実は一番大切だったりするのである。

つまり、共感を得るために必要なのは、まず自分から相手に共感しようとする姿勢である。驕ったり、虚勢を張ったり、自慢したりするのではなく、相手に寄り添おうとすること。パスを自分の方から投げること。今ここにいる自分から、今そこにいる(present)相手に向けてメッセージを送ること。

すべてのテクニックは、この土台の上に築かれていないと上滑りしてしまう。

もちろん、そんなものがなくても、与えられた時間を埋めるだけの「講演」はできるだろう。でも、それはプレゼントとしてのプレゼンではない。何かを与えることはできない。当然、相手に影響を与えることもできない。

現代のインターネットにおいて、特に流れの早いSNSにおいて謙虚に軽視されているのがこの観点であろう。正論で殴り倒せば論破で勝ち、というゲームでは、何一つ変わることはない。むしろ、状況は悪化していくばかりである。

プレゼンテーションする機会がない人であっても、人に何かを伝えようとするならば、そのためのスキルは学んでおく価値があると言えるだろう。

三輪開人 [ダイヤモンド社 2020]

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