言葉と手紙と想いの物語
面と向かっては言えないことでも、手紙でなら言える。だとしたら、僕らの言葉とは一体何なのだろうか。
主人公ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、戦闘用の兵士として育てられ、共感の心を育まぬまま成長した。彼女は、自分の言動が相手にどんな心境をもたらすのかをうまく想像できない。誰かの言葉が、どんな心境から発せられているのかをうまくイメージできない。だから、彼女の上官であるギルベルトから送られた「愛している」の意味もわからない。
そんな彼女が、他人の手紙を代筆するという、もっとも共感を必要とする職業につき、他者の人生に、そして他者の心に寄り添うことで成長を遂げるというのが本作のストーリーである。
ヴァイオレットは美しく、そしてどこかもの悲しい。死者の影を求める亡霊のようだ。
手紙は、不思議なメディアである。それは死者に送ることもできるし、死者から送られてくることもある。それぞれの言葉を載せて、手紙はあなたの元にやってくる。時差を持つからこそ、価値が生まれるメディア。そして、優美に綴られた書き言葉。
ソクラテスがそれを恐れたのは、たぶん正しかったのだろう。書き言葉は心との距離を作ってしまう。だからこそ、僕らはそこに想いを載せられる。落ち着いて、気持ちを見極められる。
口から出た言葉がまことである保証などどこにもない。むしろ、そうでない可能性が高い。感情は高ぶり、振幅を極大化させる。それはまことの気持ちのデフォルメでしかない。
手紙を書くことは、自分の心と向き合うことだ。距離があるからこそ、時間をかけて吟味できる。
想いは決して言葉にならないが、言葉にしようと努めるとき、そこに何かが生まれる。
それはどうしようもなくもどかしく、だからこそ価値があるものなのだ。
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